2009.12.

2021.12.23
久しぶりに友と会う
佐藤賢太郎

 私は頻繁に書く、書かなくなったら終りの時かもしれない。しかし、パソコンでローマ字入力が何度も間違ってしまう、これも歳を重ねたせいかもしれない。

それはさておき、12月19日朝3時に目が覚め、出発準備、4時30分に渡辺美紀さん宅に向かった。寒さのせいでクルマのワイパーがうまくふき取ってくれない。家内は雪の道中、悪戦苦闘した。郡山につくと明るくなって、同じ日本かと思うくらい気候が違っていた。ここは晴れて眩しく、雲一つない好天である。

しかし厳しさも人を育てるのである。桐山士郎さんは、もっと寒いところで生まれた。それで今の桐山さんがいる。皆さんと会って話し,美紀さんと娘さんの料理をいただいた。私は日帰りのため御沓さん宅に向かった。なかなか着けなかった。

埼玉に行くには訳がある。皆さんと元気なうちにあっておきたかった。準備をしてきた。それは若かった時の記録と今の豊実の写真である。もう一つ、御沓一敏さんから「書」をいただくためである。車にどうにか乗せた。次回は軽トラックで来て、里山アート展に使う部材を御沓さんからいただく約束をした。

帰りは常磐道に乗れなくて苦労した、心配して御沓さんは電話をくれた。自宅に帰ったのは午後9時半であった。家内がいなかったら日帰りは無理であった。