2009.12.

2013.02.03
「来たバスに乗れ」講演会1
佐藤賢太郎

昨年12月のある日、88歳になった早川末吉さんは、私と大学生が共に立ち上げる講演会を全面的に支援してくださると明言してくださいました。早速、新潟大学4年生の岡部真紀子さんに「来年はあなたにとってブレイクする年にしませんか」と講演会の立ち上げ打診をいたしましたところ、岡部さんは「やります」との嬉しい返答があった。といいますのも内心は快い返答を得られるかどうか心配もあったからです。

早速手順を促しまたところ、スッタフとして参加する他の大学生も集めてくれました。そして私は大学に行って彼らと何度か打ち合わせをもちもした。大学生は20回にミーテングをもったようです。

呼びかけも、学生を誘って早朝朝起会などに出向き、精一杯努力いたしました。私は3時豊実出発、大学4時20分集合、学生は普段そんなに早く起きることはまずありえない時間でしたので、私も賭ける思いで学生を誘いました。参加してくれた学生に感謝し嬉しくなりました。彼らも真剣な呼びかけになったと思います。11月末これでやるだけのことはやったと思いました。

そして11月30日講演会の当日を迎えました。家内とスッタフと共に懇親会の料理を車満載にして、新潟県民会館に高速道路を走りました。朝、車のワイパーは冷たい雨をふき取っていました。日本海独特の冬の天候です。

講演会開催日は出鼻をくじけさせられそうな天候で、一週間前浦和での講演日とはまるで違って、あれほどの人は集まらないかもしれないと内心思いました。ところが開演30分前になると参加者が続々お見えになって、開演10時まで入場が間に合わないのではと思えるほど嬉しい幕開けになりました。スッタフあわせ参加者235名になりました。

この講演会は応援してくださる仲間の大勢のいる、浦和の講演会参加者201名より大成功と言えるのでないかと思うほどでした。

なぜならば

1・大学生はじめ若い方が集ったこと、そしてその若者たちは真剣に私の講演を聞いていたと言います。40年以上年齢の差がありまなら、しかもノーベル賞受賞者でもない平凡な私の話に胸が一杯になったと言うのです。

2・勿論人生を踏んだ年配の方々の反応は素晴らしかったと感動一杯になったと承り感謝この上ありませんでした。

3・生きるということはどれだけ感動を多くするか、ということでもあると思います。学生と共に開催できたこの講演会は、人生65年の総結集であると思いました。

 4・この講演会を一回で終わることなく継続しようとの機運が若者も伝わったことです。

5・有名になったとか、苦労を超えて幸せになった、そうしたストリーでなく、夢をもちながらも失敗の連続であったが、淡々と自分の人生を家内と語っただけです。それでいながら聞いてくださった中には涙が出そうになったと言ってくださったことです。

以上のようなことから講演会は大成功であったと私は思います。