218.05.03
3人目のウーファー
佐藤賢太郎

 5月3日、この日は3人目のウーファーがスペインからやって来る日であった。この日は恵の雨になった。私はマリンの休みの日にして、21歳の彼女とシルクロード文明館でお茶を飲み、ウーファーを迎えに会津若松駅まで迎えに行くことにした。その後、総会参加できない時崎庸二さんご夫婦と会う予定を立てていた。ところがスペインのウーファーは何時に若松駅に着くか連絡がない。いつまでたっても電話がない。マリンもそうだが、何時着くか解らない人が多い。

私は3人目のウーファー会うことを諦めで、時崎庸二さんと会うことにし、車を走らせていると電話が入った。それはスペインのエリアさんであった。初めて会ってみると、弱弱しく、日本人の様であったが、とてもチャーミングな女性であった。それに日本語がおぼつかないようであった。しかし目をパッチリさせたマリンは、がぜん元気になり、英語で話まくっていた。彼女たちと時崎庸二さんたちと私は食事をしましたが、これは時崎庸二さん達に素晴らしいプレゼントができると思った。

その後、わが家に着くとエリアさんと、いきなり生き方ついて話すことになった。それは人生相談である。彼女は「佐藤さんの生き方は理想的だと頭ではわかるが、難しい」と言っているようだ。彼女曰く「実はスペインでの今の仕事をしたくない、日本で焼き物をしたい」そのように言っている。私は「き焼き物をプロとして生きることはとても難しい」と言いました。そして「あなたが28歳で自分の将来は解らないのは当然である」とも言った。私は私のことを言った。「私がコレマデ彫刻家として歩めたのは、魅力的な作品をつくる事、人間の信頼を得ることだと思う」と言った。この言葉を難しくて彼女には伝わらなかった。夜も更けてきたのでこの続きは明日話すことにした。