2017.8.27
個展で感じたこと
佐藤賢太郎

 8月26~27日、増賀さんのお宅に泊めていただき、お話をする機会が多く持てました。私はギャラリーマスガで、さまざまな人生を学びました。

(1)詳しく解りませんが、在る有名な作家の奥さんが体調を崩し、料理が作れなくなったそうです。他人事ではなく、私だってそうなることもあると心しました。 

(2)もう一人の作家さんは、娘さんがある時から精神的に変調をきたし、創作活動も大変だろうと思います。子供がいることで、心配の種を抱えているようでした。 

(3)私の作品を多く持っているある方にも変化があった。人を信頼していたのですが、それがあだになり、自分の会社をすべて失うこととなったそうです。

(4)経済的に何不自由ない生活をしている作家の場合、純粋ではあるが、時としてもう一押しが足りないのでないかと思うことが多い、と増賀さんの見解を聞いた。 

(5)増賀さんの願いに反し、今回私の作品は多く売れなかった。時は過ぎ、変化しているようで、お互いに少々疲れを感じたのも事実です。そこで私は、増賀さんに希望ある話をしました。マスガさんは「それはいいと」賛同してくれました。そばにいる方もその話を聞いて「佐藤さんはいつまでも変わらない、若々しいですね」と私の思考が柔軟であると感心していた。困った時こそチャンスはやってきていると思う。私は「ただし、実行することです」と増賀さんに言った。

“困った時こそ夢をもつ”これは、天から与えられた私の役割だと思う。柔軟でないということは、ひとつの方向しか考えられない、つまり柔軟性がないことだと思う。

里山アート展は今年で14回になりますが、私はその主宰者として、作品つくりは柔軟さを養うトレーニングになると思う。私の里山アート展の作品はギャラリ-マスガさんの出品作品とは全然違う。  
  里山アート展に参加している皆さんはお解りだろうが、あるものを生かし、それなりに作品にする。時には洪水後の自然の爪痕を切り抜いて、作品にしたこともあった。前衛芸術の様だ。

画廊で増賀さんに語った。「幸せとはなんだろう?」それは日々に感動した生き方の積み重ねではないかと私は思う。人間だれしも、幸せになるため努力しているのです。

(6)花火を見に行った。飲んだり食べたりしながら、花火を見る人は30万人である。花火大会が毎年須賀川で開催されている。終了後の片づけが素晴らしく、ゴミ一つなかった。私は嬉しくも驚いた。日本人のマナーの良さを改めて知る思いだった。これは世界の人々に誇れることである。

道すがら増賀さんから聞いたのですが、「孔子、孟子の考え方が現代の中国では悪である」。これを聞いて私は驚いた。

(7)最後に、會津から母親と息子が今回の個展にやって来た。リストラに遭い人生に悩んでいる息子の様子であった。作品を見て「理屈抜きに心を癒してくれる」と言っていた。須賀川の個展に来た甲斐があったのではないかと思った。「作品」にはそういう力があると思う。しかし、それは感じられる方にのみ与えられるものではないかと思う。 

今回「ギャラリーマスガ」の個展では、いろいろと考えさせられました。