2019.3.6
超多忙な3
佐藤賢太郎

12月とWHの対応でこの冬も忙しかった。WHでさまざまな若者に会う機会を得ました。また山の給水作業で私は側溝に落ち足を痛めましたが、どうにか治りました。
 しかし3月はさらに忙しくなってきた。35日、外国人受け入れについて観光協会の理事会で短くまとめ話をしました。7日、商工会取材、大学のWH取材、対応、8日まで祠完成予定。観光協会30周年事業の一つにして狐の嫁入り屋敷ウブサイトに発表、祠と別に永遠に寄贈者の名を石に彫ります、名前を刻むのもアートのあるデザインにしました。お墓のほかに名を残せます。皆さんもこの時代に私と共に、生きたという名前を残せませんか。高額でありません。(いずれ皆さんに見ていただくつもり)9日がん患者学研究所理事会、横浜日帰り、910日(大切な味噌つくり)それには9日は既に味噌つくりの準備できていること、作る方大塚さん時崎さん飯野さん到着に間に合わず、夜会うこととなった。14日喜多方市長さんとようやく面会予定、17日フランスから1週間4人女性大生滞在定。
 それよりも一番困難なのが9日横浜へ行くことです。当初910日は忙しくて、日帰りでは横浜の理事会に行けないと返答していましたが、理事長の「何とかならないか」との電話で、理事長の「日頃、命を懸けた姿」を見て、私は日程を調整しました。これが一番の難関であった。
 こんな忙しくなってきている中、判断しなければならないことがあります。カセンは私を大変気遣っているが、(カセンの処遇が定かでない。)彼の態度が私にとって不明なら、さようならを言うつもりである。時は今動いています。以上3月の日程であります。