2011.03.24
大地震に私は思う3
佐藤賢太郎

大自然の前に

物質文明はものすごく進化し、人間は月に行って帰ってくることもできるようになりました。しかし人間は宇宙に行けても、自然の前ではとても小さな存在で無力であることを知らされました。今、原発で日本は毎日揺らいでいます。これなら大丈夫という絶対に安全な保障はないことを大地震は教えてくれました。自然の法則を無視してはいけないのです。それは、遺伝子の組み換えや臓器などを作ってはならないことと同じであろうと思う。

人間も宇宙大自然の摂理によって作られた一部なのです。その法則にしたがって生きることが本当の知恵なのだろうと思う。大地震と大津波による被害からの復興作業、仮設住宅の建設など課題が山積している。さらに、原発による放射能が深刻な問題になっている。日本の安全神話が崩れてゆくようである。

立ち上がる人々、温かな人

震災で会社が壊滅的な被害にあった社長が懸命に走り、救済の助成制度を見つけ、社員の給与を支払える見通しをつけた。そして、5年後には見事に立ち直ってみせると毅然と言い放つ姿をTVで見た。すごいなぁと感心してしまう。

暖房の灯油がなく、流木を集めてドラム缶でお湯を沸かし、ペットボトルにお湯を入れ、湯たんぽ代わりにする人がいる。フロントや播き集め、火をたく係りそれぞれ役目を決めて活躍しています。もう行政がしてくれないなどと言っていっていられない中での行動です。知恵が出るものですね、頑張ってほしい。

中高生が大人たちを励まし、何か役に立つことをしようと懸命に動く。この若者たちは困難ななかから学んだ経験をいかして、この先も素晴らしい生き方をされるだろう。

EU・ジャパンフェスト日本委員会が各地に呼びかけた支援物資が東北方面の物流不能のため、コスモ夢舞台の豊実に大量に届いた。その整理をしながら、奥会津書房の遠藤さんや坂下の菅さんと連絡を取り合った。グリーンツーリズムで知り会った東松島市の大江さんに連絡が届き、本当に困って体育館で暮らしている避難所の方々に届けてほしいとなった。

早速菅さんと五十嵐さんが豊実に来てくださり荷物を積んでくれた。そしてその足で東松島に向かい、坂下町の五十嵐さん、吉良さんが東松島市についたのは夜の8時、帰りは11時だったそうです。本当に良くぞ運んでくださいました。頭が下がります。物資を集める方、運ぶ方、被災地でがんばる方、私はこの人々から勇気をいただきました。

人は助け合って生きるもの

毎日余震がありどうなるかわかりません。神戸、新潟、今回の東日本大地震、新燃岳の大噴火など、自然の前にはどうすることもできないのが人間です。

自然は人間の都合の良いようには動かない。何時、自分がその天災に会うかわからない。被災してみて人のありがたみを感じる方も多いでしょう。   

私も被災で 多くの方にお世話になるかもしれない。いや天災に会う前から私は既に多くの方にお世話になって生きてきた。

人間は自然に対して謙虚でなければならない。人間も自然の一部であるから、人間は助け合って生きていくしかない、そうしみじみ思う。人という字は支えあうと言う形になっている。今、宮沢賢治の「雨にも負けず」をかみしめています。

アートを大切にする心

このところ、支援物資のことで古木修冶さんから毎日電話をいただいています。その古木さんから「助け合うご縁を思うにつけ、人と人の結びつきに感動した」という言葉をいただいた。また、「芸術に寄せる心は、いざと言う時に助け合う心に通じるのではないか」とも言われた。偉そうなことは言えないが、アートは造形を見せるためのだけのアートではないと私は思っている。

一つの造形作品を作ったとする。近頃、それは自分が作ったのではなく何かの力によって半分は作らされているのだと思うようになった。何のためのアートなのか、芸術なのか、人間が助け合う心が芽生えない芸術はあるのか、人の役に立たない芸術があるのだろうか。

里山アート展で「アートでいったい何ができるのか?」といつも自問しながら開催しています。人間は、困難なときこそ創造力をもって豊かに新しい生き方を生み出していくことができる。それこそが創造力でありアートの力であろうと思う。

失ってみて、今までにない感動する生き方があることを知る。そしてそこに、人と人の助け合う心が必然的につながるのだと思う。

ともあれ今後、経済も生き方もその仕組みが変わらざるを得ないと思う。