2015.04.06

佐藤賢太郎 

母と静かな別れが近くになりました。人は生まれたら必ず亡くなります。宇宙の星も同じように。人間の生死も同じです。そして同じように私も辿る道です。

秋の陽の落ちるのが早いことを、「つるべ落としの様だ」と例えられます。

郷里に帰り、母と共に暮らしている私ですが、まさに母は日に日に衰弱してゆきます。もうお別れかなと思うこの頃です。88歳の時、仲間より米寿の祝いをしていただきました。ありがとうございました。

私は我が想いを通して、これまでコスモ夢舞台を進めてきました。私たちが帰ってくる前に比べると、考えられない変貌です。その一つに、かつて母は土蔵を手につけないようにと願っていましたがリホームしてしまいました。そして最近、母の部屋ばかりか、その他トイレもすべて絵を描きました。そんな私に母は反対するどこか喜んでくれました。

最近、突然阿賀町の宝さがしということでテレビ取材がありました。その番組に家の中を紹介したので母も出ました。その放映を見ていた方は、母がとっても元気そうで、しかも自然体でとてもよかったと誰もが異口同音に言いました。

母は「勉強しているんだよ」とテレビ取材の方に言いました。きょとんとして意味か解らないスッタフに、私はその意味を解説しました。私がいろいろ勉強しているからこんなこともできるだ、と母はあなた方に言っているのですと通訳しました。

このことから母に心配かけた日々があったが今は満足しているのだろうと思った。母は私たちに子供がいないことを、一度も口にしなくなった。有難いことです。最後に母と言葉が通じたのは「おれがいなくなったらお前たちは寂しくなるだろ、もっと生きていなくては」「いつも世話をかけるね」と言っていた。

もうその声を出すこともできなくなってきた。苦労して育ててくれた母に感謝します。日に日に子供の様になってゆく母の介護を通して、母の別れをこうして身近にできることは有難いことです。

そして母は都会から中学生が我が家に体験に来た時も、笑顔で「遠くからご苦労さまです」と言っていました。コスモ夢舞台会員にもよく来てくれるね、といつも私に言っていました。そして訪れる誰にでも感謝の言葉を出してくれた。

コスモ夢舞台をつくるには仲間がいなくてはできませんでしたが、父が私のわがままを許し、母が見守ってくれたからこそできたのだと、しみじみ思います。 

先祖伝来の土地を守ってきてくれた親があってこそ、自由にさせて頂いたからこそ、コスモ夢舞台の絵を私は描けて、これたのだろうと思います。