2017.02.09
腹を立てず
佐藤賢太郎 

恥ずかしいことなのですが、私はとても腹を立てやすい性格であります。

30年前、彫刻の修行に行きました。その時の師匠は、ものすごく腹を立てる人でした。人は、あんなに腹を立ててはいけない、その時は思いました。しかし今、まだまだ腹の立てやすい自分であります。  

家内はそのことを指摘します。とくに家内には、遠慮せず怒りが出てしまします。家内はそんな私を見て「他人にその怒る態度を見せたらどうですか。みんな離れてしまうでしょ」と言うのです。勿論、他人にはそのような態度はとりません。

何故なのか? 家内には遠慮を全然していないから、理性を働かせないのでしょう。格好良く見せることが無くなるからでしょうか。 

それはともあれ、他人に対し腹が立つことについて、こう思います。私は近頃、とても感じる力が出てきました。具体的な事例は申しませんが、言葉の表面はおだやかな方でも、私に好意をもっていないことが直ぐ解ります。

正直、その言葉に不快を感じますが、「自分の心の中に隠し持っている金銭出納簿を開いて、収入をもたらせる相手には嬉しくなり、支出をもたらす相手には腹を立てる。私というものがどっかり座っている」このように学びました。 

それは、まさに無私でない私です。恰好つけるようですが、腹を立てやすい相手の言動は、自分を鍛え、さらに自分の幅をつける訓練してくれる方である。そう思えばいいと気が付きました。誰もが、我が師です。これを超えたらもう一段私は器が大きくなっていると思います。人生、生涯修行ですが、理想に向けて精進します。