2017.12.16
かんじき
佐藤賢太郎

 今日は面倒な問題を越えたのでほっとしている。気配りが必要なことであった。

その前に新しいことに挑戦した。一昔前、かんじきは雪国の人は誰でも靴のように使っていた。しかし、現代人には、取り付けるのが面倒である。そこで今では、履くのに簡単なスノーシューなるものを使っている。私もその一人である。

今、母の彫刻を作っているのだが、石の粉が服に着くので、カッパをとりに、雪の上をお歩かなければならない。

そこで、目の前にあったかんじきを履く事にした。面倒でもやってみようとする意欲は、若いことかもしれない。 

付け方は知らなかったが、要は長靴が外れないように考えればいいのであった。ところが、歩いている途中で外れてしまった。それで付け直した。なんだ、できるではないかと思った。新しいことの発見である。

このように、私は必要に迫られて日々新しいことに挑戦している。これからは、雪のときはかんじきを使おうと思った次第である。雪国の冬は寒い、ストーブは温かく気持ちがいい。しかしそれには動くことが絶対必要です。薪ストーブには薪が必要である。雪が積もっているから運べないと、あきらめるのでなく、薪を取に行くのも、このかんじきを使えばいい。

借りている家の風呂場の煙突に雪が覆いかぶさっている。煙突に直接当たらないように防護するようにしなければならなかった。早速使ってみれば、スノーシューより軽くて歩きやすい。その上、安価である。こうしてできないと思っていたことが、次々でき、楽しくなってくる。これが脳を柔らかくするのではなかろうか。

横浜からこの雪国に、取材にお出で下さる方を待つのが楽しみである。私のこのような生活をご覧になって、きっと驚くだろうと思う。決して無理をしていない、楽しんでいる。雪国だからこそ、その喜びも倍加されるのだろうと思う。