2013.05.21
人生の先輩との出会いと別れ
佐藤賢太郎

三人の人生の先輩との印象ある出会いと別れに接して思いました。一人は彫刻家の師匠鈴木政夫先生。一人は会津若松の五十嵐大祐さん。会津で道に迷い出合って以来、本当に私は作家として大きな支援をしていただきました。そして再三、早く田舎に帰って来いと促されていた。私は何かと恩に預かった方でありました。そのことは先に触れたので省きます。

さて故郷新潟に帰ってから、朝起会を通して早川末吉さんに出合った。初めはずいぶん変わった方だなと思っていました。秋田大学鉱山学科を卒業されたようです。若いころ田中角栄さんとも親交があったようで、その写真も飾ってありました。相手からの電話で、東京の田中角栄宅へ出向いたこともあったようですが、詳しくは語りませんでした。また私がギリシャに行き彫刻を作ったこと、本を出版したことを讃えてくださっていました。

ところで2年ほど連続して、里山アート展のオープニングには白虎隊の詩吟を披露されていた。そして自分の庭にある大きな石を使い、お墓を作っていただきたいと私に全てを任せてくださった。昨年暮れ無事完成した時は心から喜ばれ、私としても作家冥利に尽きました。

早川さんは高齢ながらものすごい行動力のある方で、一人でオーロラを見たいと北欧に旅立ち、帰国後がんで入院。またその後、四国巡り、満身創痍ながら九州旅行など、生きている時間を惜しむように次々と計画を立てて実行する方でした。

今年の3月早川さん宅にお尋ねしたとき、大学生と共に私の講演会をしたいと夢を語りました。その場で、「私が経費の支援をします、若い方と夢を語ることは素晴らしい」と全面応援の決意をいただきました。本当にありがたい存在であった。早速大学生に話したところ、11月30日新潟市民会館で講演が決まりました。80代、60代、20代で繋がれた講演会実現、私たちを応援する早川さんの今年の希望の一つであった。さらに、来年私がギリシャに行き彫刻を作ると言いますと応援しますと言ってくださっていました。 

その早川末吉さんが亡くなり、昨日新潟大学岡部真紀子さんと家内と3人で通夜に行ってまいりました。とても残念でした。その席で、喪主で長男の浩士様にお会いしました。「人生には表と裏があるように、父にも表と裏があり、あなたたちは父の表を見ているが、私は裏も見て育った。そして中学校を卒業とともに新潟を捨てた」と言っていました。花輪を見ると、ものすごい仕事関係があった事が解ります。それだけやり手であった早川末吉さんは、若い頃は田中角栄さんと同じような雰囲気であったように思います。家庭内ではいろいろあったのだろうが一切聞いていなかった。

早川末吉さんと娘婿さんと3、4回ほどお会いしたこともあった。その方は私に「佐藤先生と出会いながら早川さんは悟りの境地に入っていったのではないか」そんな言葉をなげかけられました。とても光栄でした。南無阿彌陀仏というお墓を作ってほしいと依頼され、その意味を調べて私が理解したのは「悟り」という世界であったと解釈している。早川さんがたどり着いた道を感じます。それをお墓に彫ることがきたことはありがたかった。心からご冥福をお祈りいたします。そして、私たちは若者と力合わせ講演会が盛会となりますよう努力します。

多くの先輩から学び、支援していただいた私は、次の世代に何を伝えることができるかが問われる。その意味でも、11月の講演会は丁度良いお返しの機会である。