2010.09.13
新たな里山アート展の方向付け
佐藤賢太郎

吉田冨久一さんと長谷川千賀子さんが里山アート展の作品設置に来られ、私たちは熱く語り合いました。そうしているうちに里山アート展の方向付けが明確になってきました。

 作家はそれぞれの考えのもとに活動している。作家にはいろいろなスタイルの方がいる。自分は何のために作家の道に進んできたのかという原点は常に忘れてならないものと思います。

吉田冨久一さんはアートを単なる鑑賞に閉じ込めないで、社会性をもたせようとして取り組んできている。そこに里山アート展に関心を寄せる接点がありました。

私は当初、過疎の地にアートをおいて自然と共に野外アート展を楽しんでいただく、そして地域活性化になることを願って里山アート展を開催しました。ところが最近は「アートによって何が出来るのか?」と問いかける里山アート展になってきた。

私の郷里は野外アートなど縁のないない地域であり、新潟県でも一番人口減少率の高い、いわゆる過疎現象に歯止めが掛からない地域です。そして森林は、経済効果を求めて杉の木を植えたがまったく荒れ放題になっている林が多い。結果、サルが畑の野菜を食べて困っている。むしろ昔のままの雑木林の方が川のためにも良かったと思う。                         

作品を展示する田んぼも荒廃してゆくところであった。そこにはかつて蛍やドジョウやメダカなども生息していた。しかしそれらは消滅してしまった。阿賀野川の岸辺は雑木が覆いかぶさり、汚くなり川が見えない状態になっていた。勿論、仕事がないからと都市部に人は移住し過疎化は進む。

こうした現象に、どうしようもないとあきらめの空気がただよっているのが現実である。だから親は子に生活が出来ない郷里に帰ってこいと言えない。この衰退一方の現象は全国の地域に共通する課題である。私の場合も生活が出来ないから首都圏で暮らすというのが合理であるが、与えられた宿命というか、私はこの過疎地に生きる舞台を移してきた。                            

作家は創造的な作品を作って鑑賞され、生活の糧を得る。あるいは賞賛される。しかし作家はそれだけの役目なのだろうかと思う。
   そしてここで暮らす作家としてアートで何ができるのか、見て見ぬふりをして過ごすのではなく、その課題に向き会うしかない。  
   そこに、創造的に生きる道を提言することが作家の役割ではないかと私は思う。

過疎で夢を描けない現象については、里山アート展を継続しているなかで里山アート展の意義を作家と話し合いながら、何をどうしたらよいかということが明確になってきた。

つまり里山アート展は、この過疎の地域に住む私が作家として外との繋がりをもって、生き生きと生きていく提言者でもある。都市の方の応援によってアート展開催をし、また外国のアーティストたちとの交流をしたてきました。

 里山アート展会場周辺の自然を取り戻そうと、ビオトープつくり、景観つくりを小さいながらも実現している。そして田んぼ夢舞台祭りによって、地域の方が参加しやすく、楽しみながら活力を生み出すイベントを前進してきた。この環境を舞台に青年たちに生きることで何が大切なのか、体験を通して伝えている。

さらに将来展望として、農の見直しや若い方に何かが出来るそんな夢の舞台つくりの地域としてアピールしていきたい。見捨てられている自然を宝として取り組んでいる。活かせば過疎も素晴らしい地域にできると私は確信している。

それは、すぐに経済効果は生まないかもしれないが、人びとは本物を求めている。経済効率を上げることだけを成功の近道とする生き方は世界的に見ても行き詰まりに来ているのではないか。人にとって何が幸せな生き方なのかそれを共に考えたい。

つまり里山アート展は、社会とのかかわり合いそのものに取り組んでいる独自性をもった展覧会になっているのだと自負している。社会のあらゆる物事を考え、そうしたかかわり合いの中で創造する作家たちと共に、私は今後の里山アート展を継続していきたいと思う。