2016.10.03
里山アート展の見学1
佐藤賢太郎

 昨日は里山アート展オープニングの後片付けをした後、将来を見据えて蛍や田んぼ、里山アート展ために水路配管工事を大塚さん古田さんと共にしました。重労働ですが完成に向かって一歩進みました。感謝であります。

来賓の方々へのお礼状は、まだ終わっていませんが、気になる方に電話を3件しました。

 ともかく、家内と皆さん方の協力により、里山アート展のオープニングセレモニーを成功裏に終えることができました。

あることから、家内が町長に立候補したら当選するのではないかという話が出ました。すると、「佐藤賢太郎の補佐は他人にはできない。だから私は町長にはなれない」と家内から冗談が出ました。

またこのオープニングセレモニーイベントに身近な方が初めて参加してくれとても嬉しかった。

 ラシェドさんは朝、自由行動で散歩をします。村の方はその様子を見て、ミザル、イワザル、キカザルのようであったと私に言います。その意味では、私も外国人のように思われているのかなと解釈しています。私がラシェドさんと英語を交えて話しですが、「言葉が解らないのに、分かり合えるのが不思議だ」と思います。

 ところで私は仲間に、里山アート展の本質的な価値を理解していただきたいと感じることがあります。自分たちの足元をもう一度見つめ直し、その価値を発見しようということです。

時代の先端を歩いていると私は自負していますが、一万人の中に一人でも、これを受け継ぐ若手が出てくれることを願っています。

 そんな中で私は、昨日の里山アート展見学者の言葉に癒されました。「億の予算で、大々的な宣伝をして野外展をしている芸術祭よりほっとする。」「どうしてもっと里山アート展を宣伝しないのか、もったいない。」「作品やネーミングはどれも良かった。佐藤さんと言う方の作品が多かったが、アイデアマンですね。これをやるには大変な苦労をしているのでしょう」と実行委員長である私のことを知らなかったようです。

私はこのご夫婦の素朴な言葉に癒されました。市井の方ですが本質はここにあると思いました。三々五々こんな素晴らしい方が新聞を見て来てくださったことに感謝しています。

大事なことは、誰かに褒められるより、自分が感動して生きることだと思います。新聞によって、里山アート展には年齢が高い方が毎日見学されています。