2012.10.18
第9回里山アート展に際し2
佐藤賢太郎

コスモ夢舞台の会員は、この里山アート展にそれぞれのかかわり方をしている。

ある方は素人だが里山アート展に今やなくてはならない存在で、年一度の作品つくりに感動を味わっている。ある方は作家の応援にひたすら陰の立ち回りをされている。この作品に関わってみませんか、との投げかけに乗ってみる方、会場整備など草刈りに励む方、またある方は、人生の生きがいを見つけたと言っている。

作家の存在も必要だが、ここは美術館ではない。作家だけでは成り立たないのがこの里山アート展である。

福島県郡山在住で障害者施設に勤めている大島さんという会員がいる。その大島さんは「福島県は今、原発事故の影響でとても不安な毎日を送っています。そんな中、昨年11月に佐藤賢太郎さんから、少しでもいい空気の新潟にみんなで遊びにいらっしゃいと、お誘いを頂きました。総勢40名で美味しい空気とおそばやピザ、たくさんの地元の食材を使ったお料理をおなかいっぱい頂いてきました。不安も吹き飛ぶほど嬉しく、何かお礼がしたい、そして自分達も何かしなければと思いました。今回、みんなで立ち上がり、里山アート展にお礼も兼ねて出展することにしました」と語っていた。「やればできる。動いてこそ感動がやってくる」という佐藤賢太郎さんの言葉を実感しています」と作品説明に書いてありました。

作品は職員が手伝ってできたのですが、書いてある字はみんな障害者たちの字であった。作品は戸を蝶番でつなぎ、2つの車いすを添えて、「今、私たちは立ちあがる」と文字が書いてある。これをやろうと情熱を燃やしたのが大島さんである。大島さん自身が「今、私たちは立ちあがる」という心境なのだろう。大島さんとスタッフが食事を介助している姿を和彩館で私は何度か見ている。彼らも懸命に生きている。

さて再度、大島さんは彼らを里山アート展の観賞に連れてくることになった。動いていただくということは大変なことである。和歌山の井上さんにしても、女性の方が最近は輝いているようである。自分だけが里山アート展に来ることに比べるとかなり重さがあると思う。

私はずいぶん昔、作家になった頃大島さんにも支えて頂いた。今、大島さんに少しでも恩返しができたらと思う。新聞社に、こういう方々が里山アート展の見学に来られますと連絡を取ったところ、快く受けてくださりアート鑑賞会を取材することになった。

私はアートで何ができるかを常に問いかけている。またひとつ、その答えが増えたようである。