2012.10.20
9回里山アート展に際し3
佐藤賢太郎

里山アート展は素人も参加できるが、中央の公募展や首都圏で活躍する作家たちも参加している。

多くの作家は素人と一緒に並べることは町レベルの文化祭のようで好まないと思う。俺はそんな素人のような低いレベルに見られたくない、というプライドがあるかもしれない。しかし、この里山アート展に出品している作家はそのような変なプライドを持っていない。自分自身を信じられるからこの里山アート展に出品しているのだと思う。つまり自分の作品に自負を持ち、他によって自分を引き上げようとは思っていない。そして社会に、自分は何ができるか考えている方々だと思う。

里山アート展には入選も受賞もなく、高名な評論家に評価していただいて名声を高めるチャンスもなく、作家は自然体で里山アート展の趣旨を汲み、何時もと違う発表の場で自分自身と向き合っているように思える。そのためにも私はこのアート展のコンセプトをしっかりと持ち、質も向上してゆかねばと思う。

ところで主宰者である私は、里山アート展で「アートで何ができるか」を問い、そして『循環・再生・創造』を大切なテーマにしていると作家たちに言い続けている。

 イベントにしろ、アートにしろ、それは人を輝かせ、人を元気にすることに意義があると思う。作家自身が元気にならねば本物ではない。プロはプロとして輝き、素人は素人として輝くことである。

そこには小学生も参加している。それに今回は障害者の方たちも初参加した。このミックスは技術や芸を競うのでなく、アートで何ができるかという社会性を問うている。    

里山アート展はアートに常に接している作家も極めて大切であり、この里山アート展に出品される作家は貴重存在であるが、私は特別扱いをしない。それぞれが輝き個性を浮き上がらせ、しかしながら全体を見れば織りなす錦色になってほしいと思う。年月を経るごとに、私は既成のアート展とは違う個性を輝かせたいと意欲が出てきている。

小春日和のひと時、見学に来られるお客さんは「気持ちがいいなあ」という感嘆の声を出されます。全体を眺めると、里山アート展が私の共同作品でもあると思える今日この頃であります。

そして私自身、個展などではとても発表できない作品を発想の転換で、思いきって作品化できることが楽しい。これが里山アート展の有意義な点の一つであると思っている。