2012.10.22
人生を楽しむ
大塚秀夫

 「実戦的背水の陣と名づけましょうか。ここから一歩もあとには退けないというこころで、何がなんでも掴み取ろうという積極姿勢が、ものをいう、ということです。大苦難が転じて、体験となるのは必死になって実践をするからです。それは、窮すれば通ずという格言のように、道はそこから開け、背水の姿勢から新しい展開が始まる。すなわち、土壇場で一生懸命になるとき、倫理はその身をたすける。という約束が存在するからにほかありません。さらに、惜しむらくは、先が見えないことに不安を感じ、見える範囲で努力を続けようとする人にはこの心境は理解できないでしょう。

  捨身とか没我とかいいますが、ほんとうに一生懸命になれば、人の力では救えないかもしれませんが、倫理はそんな境地にたしかな救いをもたらします。」

  これは私の師のことばです。長くなりましたが、ご紹介しました。

 このたび、新潟豊実で開かれる里山アート展が開かれて9回目を迎えました。その主宰者佐藤賢太郎さんはガンが自然退縮しました。まさに命がけで実践されました。私は毎回作品を制作して、出品してきました。今年も田んぼ一面に場所を提供していただきました。しかし、学校の文化祭、秋の講演会、そして、大学のOB会などがすべて重なり今年ほど準備期間もなく、期日だけが刻々と迫

りました。主宰者の佐藤さんからも数々の内外の作家を招待している。アマチュアの私のようなものも参加してアートを作る楽しさを味わってほしいと、いつもお願いされると私も好きですので快く引き受けるわけです。豊実の里山の自然の中においても気おくれすることのない作品ができました。たった2日間で満足することができる作品が今年も土壇場で、できたことがなによりうれしいです。 

アートを考えることがすごく楽しいのです。それをアートの創造というならば、創造することはいろいろな組み合わせが考えられます。創造するとは無益な組み合わせを排除してほんのわずかの有用な組み合わせだけを取り出すことであります。 

創造とはそれを見抜くことであり選択していくことなのです。この有用な組み合わせが見つけられたとき、何物にも代えがたい、創造する喜びがあります。

アートの制作には制約もある。限られた環境、条件や制限の中で創作に励めたのはまさに土壇場で窮すれば通ずという格言のように、道はそこから開け、背水の姿勢から新しい展開が始まる。すなわち、できる範囲で見える範囲で努力をしていたら、この喜びは体験できなかったでしょう。