2016.10.07
里山アート展と創造
佐藤賢太郎 

里山アート展見学者に、私は何度も「里山アート展」について語っておりますが、今回は造形作品とは違う創造と言うことについて触れてみたいと思います。

その前に、私は許可を得て里山アート展会場を「いのちの田圃」と勝手に名付けました。その目印になる看板を古田浅吉さんに彫っていただいたのですが、看板が腐り始め黒くなりました。これを磨って、きれいにして、真っ赤にペンキを塗り、いのちの田圃の看板にしました。この田圃には血が流れているという意味です。この思い、これも創造だと思います。 

里山アート展は、プロの専門的なアートだけの分野ではないと私は言っています。例えば、「過疎で豊かな暮らしを!」をテーマに、誰でも参加できるシンポジウムを阿賀町津川の狐の嫁入り屋敷で10月23日に開催します。言うだけでなく形にして、暮らしと結びつけると言うことです。見本も何もない、ないものをあるものにするわけです。

これはまさに創造力が必要だと思います。出来上がったものを見て理屈は言えるでしょうが、自分で示すことのできる人は少ないと思います。

 ところで里山アート展は、プロ、アマ、小学生、障害者などが参加して開催してまいりました。アートとそうでない境も、私なりに仲間にも申し上げました。こうなると、もうアマの世界ではありません。

今年は初めて一人一人の作品の映像を映し出し、作品を作った感想を語ってもらい、私の視点から解説しました。

 「過疎で豊かに暮らす」とは田舎の人間だけの課題ではありません。誰もが幸せに生きたいと願っております。その意味で真の幸せとは何だろう。それを語り合うのが、このシンポジウムです。この設定は独自のものであります。見本があるわけでもない、誰かがしなさいと命じたわけでもなく、動いているうちにたどり着いたものです。

そして長い年月、コスモ夢舞台の会員が力を合わせて、今日まで汗を流した意義にも触れることになり、会員のこれからの希望にもつながるのではないでしょうか。「里山アート展」のオープニングイベントもそうだと自負しています。