2008.10.14
アート展とレセプション
森 紘一

10月11日(土)
 明日(12日)からはじまる「第5回里山アート展」のレセプションは、地元の銭太鼓の皆さんの出演やフラメンコダンス、フォークコンサートなど賑やかなイベントが予定されている。会場の整備や周辺の草刈、桃源の湯の補強工事と増設した小屋の屋根張りなど、我われの作業メニューも豊富だった。

 賢太郎さん、大野さん、御沓さんと揃って朝食を済ませ、石夢工房に上がると生コンのミキサー車が到着、即作業開始となった。隆雄さんとわたしが担当した一輪車の往復はかなりハードだったが、それを受けてスコップで運ぶ大塚さんと篭手をふるう大野さんの動きはさらに激しかった。それぞれに作業を終えて、身近な「桃源の湯」で疲れをとりながら仲間と語り合う入浴はいつものことながら、今回は格別の味わいがあった。

 石夢工房の広場では、出品作家の豊田さんとサポート役の大学院生が、横浜からやって来て黙々と制作に励んでいた。今年は県外からの参加者も増え、地元の人々との交流が広がっている。                                   

地元小学校との交渉から始めて、全校生徒との共同作品をまとめられた佐治さん。大がかりな立体造形で、地元の人々や見学者とのワークショップをすすめられる間地さん。お二人に代表される考え方や実行力は、主宰者賢太郎さんを支えて里山アート展の推進力となっている。

翌日のレセプションでフラメンコを踊る女性群も早々と現地入りして、会場の見学や段取りの準備を始めていた。

夕暮れ前に長岡からKさんが到着した。夕食までの時間を利用して、NPO法人化についての会議がもたれた。確認と検討の余裕をもって、準備だけは進めていこうということになった。NPO法人化は、コスモ夢舞台の手段であって目的ではない。コスモ夢舞台を、これからどう運営していくのか、我われの活動を継続させていくにはどうしたらよいのか、「第5回里山アート展」の今年は、そうしたことを考える年回りでもあるようだ。

 3人のフラメンコダンサーと小柄なマネジャーの仲良し4人組に、豊田さんと大学院生ペアー、長岡のKさん、地元のYさんも加わった夜の「和彩館」は、ストーブの温もりもあったが、華やいだ熱気に包まれた前夜祭となった。

10月12日(日)晴れ
 豊実での作業は雨ふりが多いが、イベント日は晴れとなる。             
  今朝もさわやかな秋空が広がった。田んぼの中で作品を移動させるのは難渋するが、地元のFサン、Yさん、Oさんの手を借りて6〜7人掛かりで昨年の作品を移動した。会場右手奥の線路寄りで作業中、偶然キノコの群生に出会った。まさに旬の食材、「マキ子さんに、いいお土産ができた」と地元のFさん、Yさんもご機嫌の大収穫、やはり“早起きは三文の得”だった。

 今年は赤や黄色を基調とするバラエティに富んだ大作も多く、30点を超える作品の並ぶアート展会場は、季節を先取りしたかのように紅葉していた。例年以上に、趣向を凝らした作品も多かった。                      

会場の左手、川沿いに共同墓地へと延びる農道の中ほどでは、大きな楢の古木が無数のカラフルな風車の花を咲かせている。「ふる里の風・日出谷小学校&佐治正大」と作品名が書かれていた。35名の生徒が参加したという「ふる里の風」の奏でるメロディは、時に早く、時に小さく会場を走り抜けて耳に心地よかった。

国道に向かって正面中央の畦道に、ふた張りのテントと8枚のコンパネを並べたステージが設けられた。我々には顔なじみのフォークソング・グループ「のっぺっぺ」の音入れもすんで、ダンサーや銭太鼓の皆さんもリハーサルを繰り返していた。

9時過ぎには陽射しも上がって、汗ばむほどのイベント日和となってきた。会場奥の巨大な黒塗りの丸太のやぐらに吊るされた大きなスチール製のハートが風に揺れて、遠目にも人垣が見える。色とりどりのさまざまなハートに願いや名前を書いて、結束バンドで大きなハートに結びつける単純作業に、子供からお年寄りまで楽しそうな笑顔と歓声が上がっていた。間地さんも、にこにこ顔で参加を呼びかけていた。
   午後1時過ぎ、大塚さんの司会進行でオープニングイベントが始まった。賢太郎さんの開催挨拶に続いて、揃いの法被にねじり鉢巻き姿も凛々しい、地元銭太鼓の皆さんのばち踊りが披露されて喝采を浴びた。

船渡大橋手前のカーブは会場を見下ろす特等席で、いつの間にか50〜60人ほどの見物客が集まっていた。そんな中を赤と黒の派手な衣装をまとったダンサーが、我われが“マスコットカー”と呼ぶ作業用の超低速運搬車で、磐越西線上手の丘を下って現れたのには驚いた。見事(?)な演出に会場も笑い声と拍手で湧いた。

 フラメンコの情熱的な踊りは、大自然をバックにしたアート展会場に、お似合いだった。正面から陽を浴びて、若いダンサーたちも汗だくだったが、会場内でも田んぼや畦道に腰を下ろして見入る人、カメラを手にシャッターチャンスを狙って動き回る人も多く見かけられた。出品作家の佐山さんはじめ、諸先生方も思わぬアトラクションを楽しんでいる様子だった。                    

特設ステージの入口には、地元の皆さんが丹精を込めた野菜やリンゴなどの即売所が設けられ、クルマで見えた県外のお客様に喜ばれた。その横では、マスター役のYさんが淹れた珈琲コーナーが人気をよんでいた。

三部構成の締めは、「のっぺっぺ」の5人組による懐かしいフォークソング・コンサートだった。森幹事長とマキ子さんも飛び入りで参加し、最後は見物客も手拍子を合わせる大合唱となった。

   回を重ねるごとに、作品参加も見学者も確実にふえはじめたが、今日の里山アート展会場に、地元はもとより県内外からこれだけの人が集まったのは、驚きであり感動もした。さて何がその動員力となっているのだろうか? いづれにしても、会期中(11月13日まで)の人出が楽しみである。

 早めに開かれた夕食会だが、「のっぺっぺ」の5人組、横浜の豊田さんペアー、新潟市内の加藤さん、電車で帰る英夫さんとフラメンコ組の3人と次第に減って、出品作家の安部さん、羽賀さん、西村さんとフラメンコのTさん、地元のYさんを含む12名が晩餐会を最後まで楽しんだ。

10月13日(月・祝日)晴れ
 例によって、早朝から桃源の湯に増設した小屋の屋根張り作業がはじまった。しかし、波板のトタンを打ちつける仕事は、9時から始まる「里山アートシンポジウム」までに終わらなかった。

 9時過ぎ、賢太郎さんの司会進行で「里山アートシンポジウム」が始まった。パネラーの佐治さんと、間地さんは再び茨城から駆けつけてくださった。和彩館の丸テーブルを囲んだ出品作家は、薄田さん、富樫さん、長澤さん、吉川さん、羽賀さん、安部さん、牟田口さん、吉田さん、長谷川さん、大塚さんの10名だった。

 出品参加された皆さんの感想に続いて佐治さん、間地さんから、今回の作品作りに触れながら、「アートの制作と社会との接点」といった点についてお話があった。今回が3回目となる若手の安部さんからは、豊実のコスモ夢舞台という制作場所の魅力が、自分の場合は新しい創作につながるという感想が述べられた。

 ユニークな作品を運び込んだ吉田さんと牟田口さんは、コスモ夢舞台の「里山アート展」にマッチするかどうかが心配だと発言された。

「アートで社会に何ができるか」という問いかけに、ご名答はなさそうだが、地域の活性化や再生につながるきっかけづくりとなりそうな気がする。  

各地で開催されるさまざまな「アート展」の魅力は、主宰者の主張や個性がどう作品群に集約的に生かされているかを知ることでもあるわけだ。

 賢太郎さんのいうように、ふるさとの原風景づくりや阿賀野川沿いの景観づくり、あるいは再生した建物群などと同様に、我われの活動は「里山アート展」にも生かされているし、これからも持続的に発展させていかなければならないポイントである。

 ありがたいことに、今回EU・ジャパンフェスト日本委員会と日本芸術文化振興会のご支援で出来上がった小冊子が、何よりもそのことを雄弁に物語ってくれている。

 シンポジウム終了後、1時間半分のテープ確認の済んだ隆雄さんと、やり残したトタンをはりに桃源の湯の小屋へ出向いた。陽ざしは今日も強かったが、何とか昼前には完了した。「桃源の湯」の周囲を回ると、敷き詰めたコンクリートの崖側に、見慣れた御沓さんの文字で「万事塞翁が馬・大野賢二」と書かれた作品看板があった。

 大塚さん、時崎さん、隆雄さんと一汗流してから、昼食をいただき、三連休の終日渋滞を予測して早めに豊実を立つことにした。

  「ご苦労さまでした!」賢太郎さん、御沓さんとの別れは、いついもの笑顔だった。(終わり)