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2003.4.20
佐藤賢太郎との対談
「仲間たちとそのベクトル2」(森 英夫) 蓮田のアトリエにて
今から30年前、森英夫さんと小松原高校の教諭として同期で採用されました。新
任教諭紹介の席でたまたま隣に居合わせた初対面の森さんに「私は本当は彫刻家
になりたいんだ」と声をかけたそうです。教育指導法では森さんと私は全然違うタイプで
したが、気が合って放課後によく森さんをランニングに引っ張り出したり、相撲をとったり、
ソフトボールをしたり、あるときは演劇を見に行ったりしました。
私が小松原を退職、公立中学校の教師も辞め彫刻の修行を終え独立した年、
森さんは私の力になりたい、と卒業記念に私の彫刻を学校で採用して頂くように校
長先生に懸命に頼み込み、尽力をしてくださいました。
そしてふくろう会の幹事長になっていただき、以来さまざまなイベントをとりおこなって
まいりましたが、ふくろう会は佐藤賢太郎のこの指とまれの会であると音頭を取ってきて
くださいました。
森さんが「いいね」と乗ってくれるその一言で勇気が湧いてここまでやってきました。
長い間支えて頂いていることに感謝しております。
今また大きく変化するふくろう会にあって、その節目に幹事長とふくろう会の皆さんに
確認したく対談をもちました。
ふくろう会の立ち上がり
佐藤 ほんとに長い付き合いですね。お互いに独身のときからでした。それぞれ出世コー
スとは縁のないアウトローとして小松原高校での出合いからでした。
森 佐藤さんとの長い付き合いは、私の人生において大変重要な位置を占めていま
す。恐らく妻の次ぐらいに思っています。私にないものを佐藤さんの中に見い出して、佐
藤さんと正面から向き合ってきたので今の私がいると思っています。
佐藤 お世話になった職員浜田清一さんの退職記念に一杯会をもちました。そのと
き、今後、佐藤賢太郎を囲んで飲む会を「ふくろう会」と名づけました。
その後、年一度公募展二紀会に出品し、私の作品を見ていただき、帰りに上野で
励ます会を開いていただきました。それが今日のふくろう会になるとは考えもしませんでし
たね。仲間も職員だけでした。なにせ、その日暮らしの私で、作家として続けられるか不
安な日々でした。その席で「頑張れ」と金一封をくださいましたね。懐かしいです。
森 ホント、あの頃が懐かしいですね。佐藤さんが小松原高校を辞める時の飲み会で、
私に言いましたよね。「森さん、ラグビーのタックルと同じようにここぞと思った時は“飛ぶん
だ”」と。そんな“飛んだ”佐藤さんを応援して私たちはよく飲み会を持ちましたよね。私た
ちには出来ない生き方をしている佐藤さんをなんとか応援をしようと。佐藤さんを応援す
ることで、私たちの夢を託していたように思います。
自分達が創る夢実現
佐藤 森さん、生涯夢を追って生きて行きたいですね。前回、自分で創る自分の人
生と言いました。私のようなものが彫刻家になりたいと言うのは不可能に近いと思われて
いました。それが実現しました。
更に今夢舞台と名づけ、感動ある人間交流、本物を見つめる、参加した一人一
人が生き生きと輝く、そんな夢のような舞台を自分達が作り、実現したい。人生54
年の総結集として人の和によって作られる共同作品です。キャンバスに絵を描くことに喩
えますと、建物つまり下地は出来つつあります。今度は絵の具を筆で塗るところです。
いろんな色の絵の具がないと奥の深い色が出ません。彫刻作品を作るより難しいかもし
れません。新たな難しさに向かっています。先ず下地では何が素晴らしいと感じていますか。
森 それはなんと言ったって、今の新緑のような木々それぞれの個性ですよ。淡い乳白
色の新緑やアカシデのような赤味を帯びた新緑など、同じ緑でも皆木々一本一本の
違いが分かるような,それでいて全体では素晴らしい森になっているようなそういった調和
が一番素晴らしいと感じます。
佐藤 人間関係の調和、バランスというのはなかなか難しいもんですね。その証拠に人
類はずーっと争いをしていますよね。ところで夢舞台の「夢」を今まで「ふくろうだより」や、
対談でも言ってきたつもりですが、森さんはどう「夢」を感じていますか。森さんは「夢と
言ってもそれぞれの人のイメージはそれぞれにあり、佐藤さんの夢についても幅が広くて
解らないことがあると」前に言っていましたが……。
森 私は、佐藤さんが描いているプラネタリウム構想での、それぞれの星の輝きに夢を
感じていますね。佐藤さんとのつながりの中で、各々が個性を発揮して輝いていく。その
輝きを皆が共有して行く。素晴らしいですね。
感動ある人間交流とは
佐藤 そうですね。同感です。それに誰にも出来そうにない過疎の地に魅力を自分
達が創って、社会に一石を投じられたら面白い、それも夢です。勿論、自然と向き合
うスローライフ、スローフード。本物と向きあってみる時間の所有。そして何といっても感
動ある人間交流の実現に夢があります。これらいろいろ複合されたことを私は夢として
います。その感動ある人間交流についてはどう思いますか。
森 私は仕事がら、生徒との感動ある人間交流が命だと思っています。そういった意
味では正しくこのふくろう会の人間交流は、私にとって命を吹き込むエネルギーだと思っ
ています。
佐藤 生徒との人間交流は純粋さが命でしょうね。私は大人の世界、ふくろう会にあ
ってもここが魅力あるところと位置付けたいですね。先に夢舞台プロジェクト案を申しあ
げましたように、建物を作るまでに、きつかったけれども大野さんのような才能と夢に付
いて行こうという一人一人が輝いて、少年のように夢中で走り、良くぞここまでやってこ
れたと思います。しかし建物が出来ても動いていなければいつしか沈んで行きます。
そこで、活かしていくためにはどうしたら良いのかを話しました。皆さんの中には突然の
ことで戸惑われた方がいたようにも思われました。プロジェクトスタッフだけが走ってしまっ
てふくろう会はどううなるの。俺たちは何のために今まで汗を流してやってきたの。言葉に
出さなくともそんな不安を感じた方もいたと思います。
森 確かにそうですね。夢舞台を維持管理、発展させていくためには、今までのふくろ
う会の動きだけでは不十分で、佐藤さんが提案した夢舞台プロジェクト案のような脱
皮の時期に来ていると思います。そして、そのことをふくろう会の会員全員が納得してい
くことが大切だと思います。出来れば会員一人ひとりが何らかの形でプロジェクトに参
加できることが理想だと思いますが、それはそれぞれの事情もあるので、出来る人がプ
ロジェクトを推進していき、それを後押ししていくというのが今は一番よい構図のように思
います。
ふくろう会とは
佐藤 僭越ながら、今までやってきた努力はどうなるのというのはおかしい、純粋な気持
ちがあるなら建設作業をするそのことで、各自が夢配当を頂いているんじゃないですか。
俺がやってあげたんだという心が出たとしたら感動ある人間交流ではなくなると思います。
働いた量で価値を決めるのですか。勿論、汗を流した方々は尊い働きをされました。
それは忘れないでしょう。そうした礎の上に次の方の汗が積み上げられていく。森さんの言
ういろんな方の個性が調和して動いていくのでしょう。
プロジェクトスタッフになるということは大変なことです。家族のことや生活がかかってき
ますから。捨てるもの、夢にかけてみる覚悟がないと出来ませんね。だから一律にはお願
いは出来ません。やってみたい人にお願いします。
オープニングパーティーのとき声楽家の吉武さんが森さんに「ふくろう会の人はどうして
話がうまいのですか」と多くの人の前で語るのが専門のプロも言いました。
私心がない。俺がやっているという高慢さが見えない、人間の美しさ、爽やかさがあ
る。そこが人の感動を呼び、寄付も出してくださると思っています。自分の分を演じると
ころが素晴らしいのだと思います。ふくろう会館&アートギャラリーオープニングパーティー
での森さんの挨拶も好評でしたが正にそれでした。自分をなくす。無私という状態のとき
人はその人に感動し、尊敬をする。そう思っています。それが感動ある人間交流です。
うまく語れない人でも認められるんです。そして、それが解るということは付き合った年数だ
けで決まるものではないと思います。
私は受けた恩は忘れていないつもりですが、長い付き合いの中でも常に向上心、
緊張感は大切だと思う。昔からの友達だから今も同じ、そんなふうには思っていません。
努力しなければ離れて行くと思います。
森 確かにそうです。最初に私が言いました佐藤さんと正面から向き合って来たと言う
のは正しくお互いの向上心と緊張感を保ってきたと言えます。そしてこれからもそういった
関係で行きたいと思っていますのでよろしくお願いします。
佐藤 ふくろう会の目指す理想は、何も自然派、郷里を愛する会ではないということ
は先程話したとおりです。現実的なことになりますが、出来るだけ会費は抑えたいと思
っています。今後、下げることがあっても上げません。大阪の前田さんのように一度も夢
舞台を利用することも無い賛同会員のような方には誠に恐縮しています。会費が高
いか、そうでないと思うのかはその人のふくろう会に対する思い入れの度合いだと思う。
あえて申しますが、そこから得る夢というものをどれだけ感じるか。私に対する信頼が
薄れたり、自分との価値観や夢が違ったり、物足りないと感じた方は高いと思うでしょう。
ですから無理をなされないでいいと思います。
森 そうですね。ふくろう会に対する思い入れですよね。もっとはっきり言うなら佐藤さん
に対する思い入れですよね。佐藤さんとの関係で向上心と緊張感をどれだけ大切なも
のと思えるかですよ。
佐藤 大変、高飛車に聞こえるかも知れませんね。なぜこんなことを申し上げるか、こ
うしたことははっきりしておかなければならないと思います。ふくろう会とは、こういう会であ
り、佐藤賢太郎はこういう人間だと解って会員になって頂かないと後でお互い困るから
です。
それに最近、今までと違った出会いによって会員になられる方が増えてまいりました。
これからもその傾向は続くと思います。ですから、そういう方にも最初に明確にしておくべ
きだと考えています。
森 その通りです。定款にもあるように、この会は佐藤賢太郎の作品や生き方に共感
する人の集まりなんですから、そこが一番大切だと思います。
それぞれの妻のこと
佐藤 過日、農業研修が終わり囲炉裏を囲みいろいろ愉しい本音も出ました。森さ
ん曰く「佐藤さんからの電話に家内が出るとき、少しは佐藤さんと世間話でもしてくれ
たら」と素直に語られましことに嬉しい思いになりました。あれは皆の心を和ませました。
格好つけなくていい。森さんの素晴らしさを思いました。
大なり小なりたいがいの奥さんはどうしてそんなに佐藤さんのために汗まみれになるの、
家庭サービスをもっとしてくれら、貴方はもっと偉いんじゃないの、給料をもらっているわけ
じゃないのに、などと言われているのでないですか。
私だって家内から、つい最近まで辞めなさいよ、と言われていました。「自分も大変で、
皆も大変にし、親まで大変に巻き込んで」と言っていました。私達は年中、腹を立て怒
って夫婦をやってきました。それに「貴方は大切なことは何も相談しないで決めてしま
う、一生苦労させられる」と家内は言います。「だから鍛えられてきたんじゃないか」という
私です。いちいち許可を取っていたら作家にはなれなかったし、夢舞台もありませんね。
いろんな人にお世話になりながら今があることはわかっています。民主主義の多数決だ
けでは物は動かないのも真理だと思います。
でも家内もようやく私の夢が見えるようになりました。自分でもどうなるかわからない
ことに向かっているのですから当然でしょう。まして、他人の奥さんが理解するのは大変
でしょうね。去年のバスに家内と森さんの奥さんがいなくて良かったです。この対談を読ま
れるでしょうか。
森 勿論、私は読んでもらいます。読んでもらって妻からの感想を聞きたいですね。妻
は妻なりに佐藤さんのことを理解しているし、佐藤さんと私との関係も把握しています。
その上で、この対談に対する感想を聞くことは私にとって大変興味がありますね。
ふくろう会を活力に
佐藤 最後に森さんはふくろう会を教育にどのように生かされていますか。
森 先程も言いましたように、私がふくろう会で得ているものは感動ある人間交流です。
もっと突き詰めて言えば佐藤さんとの関係から生じる緊張感による私自身の人格的
向上です。自分自身の人格的向上が生徒との良好な人間関係づくりを可能にし、
強いては職場の教職員との人間関係をも良好にしていっています。自分を取り巻くあ
らゆる人々と感動ある人間交流を持てたならばと願っています。それが私にとって夢で
すね。
佐藤 愉しいと楽しいという言葉がありますが両方がいい。人格向上、人間感性を
磨く、そうしたことも正に究極の夢ですね。
これからまた、大きく進化するふくろう会になりそうです。共に変化に対応できますよう
に心がけて行きたいものです。ありがとうございました。