2007.04.28
里山アート展開催しての効果

4年前東京で、作家友達の間地紀以子さん佐治正大さんと共に一杯の飲みながら、私の郷里の田んぼに両者と私の作品を置いて里山アート展を開催したいのだが、参加してくれませんかと声をかけた。いつかね、と以前言っていたことが本当に行動することになりちょっと戸惑ったようだが参加してくれることになった。何せ計画も何もないゼロのスターとでしたから無理もありません。私は苦労して新潟県や新潟日報社、JR新潟支社その他多くの後援を取り付け他の作家の作品集めに奔走した。

会場はSLが走っているので「SLからアートを見よう」というチャチフレーズでアート展を開催する事にした。ところが鉄道線路は木の枝がはびこって作品など見えない状態であった。そこで線路沿いの枝を切り、作品を置く休田の田んぼ葦がはびこって刈り払いをしなければならなかった。両方ともものすごい労力を必用とした。これを2年続けた。村の何人かの人に応援していただけたのが救いであった。

アートなんて田舎ではなじまないよ、佐藤賢太郎は変わり者だからな、などとそんな声も聞こえていた。3年目には川の景観をよく見せようと川岸の見苦しい木々も切った。そうしているうちに田んぼを作らせてという方が現れ、休田していたたんぼも復活した。

4年目に入った今年は里山アートの会場に昔の小径を整備した。さらにその里山アートの会場にメダカの池、蛍の川、蓮池と冬から今年その準備をしていた。そこに阿賀町社会福祉協議会から「花植えをしませんか」と言っていただき、それなら水芭蕉、花しょうぶがほしいとお願いした。それが実現する運びとなった。昨年から、からしなの種をまいたが芽が出始めた。昨年の里山アートの作品が水の入った田んぼに美しく映っていた。こうなるとそれぞれが花咲く園になるとふるさとの原風景一段落する。4年前の草木がぼうぼうであったところがこのように素晴らしい田園風景に変身することになった。

そして福島の青年たちがふるさとの原風景つくりに20名参加することになった。
   アートは田舎でなじまないなどというのはもうおかしい。里山アートを開催したからこそふるさとの原風景を作ることになれたのだと思う。まだ花は咲いていないがきっと咲くであろう、そのとき村人も里山アートにもう少し関心を集めるであろう。(佐藤賢太郎)