2010.09.04
ビオトープ維持の難しさ
佐藤賢太郎

ビオトープの愉しさや感動は先に申しましたが、これを維持することの大変さを述べてみます。
 ビオトープは水がないと生き物が生息できません。昔、田んぼを村人みんなで作っていた頃は水路があり水が流れていました。そして、山の木も雑木が多く保水力もありました。それが変わってしまい、雨の降ったときだけ水が一度に流れるようになりました。

現在、我が家の田んぼは、以前に父が隣村の田んぼの余り水を遠路、パイプを通して水を引いた水路を使っています。しかし、これが沢にパイプを置くだけで、田んぼに入れる水が頻繁に止まります。これを以前仲間の御沓さんと枡を作りました。 
   それでも、やはり草が詰まり水が頻繁に止まります。朝、見まわっても昼にまた止まる、そのたび水源に走る毎日です。

どのようにしたら草がパイプにつまらないか苦心しています。また稲刈り近くになると田んぼの水は必要なくなり、小川から田んぼに入れる水を止めます。当然私の田んぼにも、水は入らないことになります。しかしビオトープ維持のため、ほんの少しの雨水でも全て集まるようにしました。

 こんな水管理を4月から冬まで行っています。ビオトープ維持には草刈りや、このような水管理がなくてはならない作業です。田んぼに水を入れずに池や堀に水を流す、そんな仕掛けもつくらなくてはなりません。こうして毎年試行錯誤しながら5年くらいになるでしょうか。経済的合理性からすると、ビオトープは何の生産性もないことになりますが私は続けています。

今、メダカや蛙、ドジョウ、蛍、トンボたちが生息するようになり、水芭蕉や古代ハスも咲くようになりました。
  メダカは見えないので、金魚を放しましたが、浅い池にいくら放流してもいなくなります。その原因が解りました。青サギがみんな食べたようです。そこで私は糸を張りました。
  生き物の生息するビオトープといいながら、少し矛盾していると思いますが仕方ありません。これも試行錯誤の一つです。

サギはどこにでもやってきます。どの家の裏庭にある池にも魚を食べにやってきます。サギも生きるのに懸命なのでしょう。サルが出て人間の作った野菜を食べてしまい困っていますが、同じようにサギも生きるのに懸命なのだということでしょう。