2011.01.04
道場六三郎
佐藤賢太郎

私は知らなかったが、道場六三郎さんは80歳になった有名な料理人である。家内はいつも料理番組を見てヒントにしている。暮れの訪問者とお別れの食事会をしていたところ、テレビに道場六三郎が現れた。料理番組かと思っていたら、道場六三郎の生き方そのものの番組であった。

修行時代いじめにあったことによって、スピードのある料理が作れるようになったそうで、あの時があったからと、感謝していました。それを聞きながら、私たちは鈴木政夫先生の下での修行時代を思い出し、Iさんに話していました。私たちもあの方と出会ったからこそ、今があったのです。

誰でも厳しいことは嫌である。しかし、辛い日はチャンスの時なのだと今は思う。人生に何度もピンチはやってくるが今、私に病というピンチがやってきた。だが、やることが未だ一杯あるからもう少し生きなければならない。

道場六三郎はともかく奇抜で、遊び心旺盛である。そのために料理人の世界から厳しく見られた時もあったようである。それでも、継続してそのスタイルを続けていた。やがて勲章をもらうまでになったが、お茶の棗(ナツメ)に料理を盛り、竹の葉に金色を塗る。ともかく、何ごとにもとらわれない自由奔放な料理の鉄人である。コスモ夢舞台が地域に理解されないことなど何のことはない、どんどん続けることでよかったと尚更のように思えてきた。

道場六三郎は一流の料理人を前に献立表を披露した。何とそこには何箇所も自分のキスマークが施されている。朱肉に口をつけてスタンプしていたのだ。弟子たちは大丈夫ですかと心配したが、大丈夫と答える。80を超えてもそんなことをする遊び心、それはもてなしの心でした。すごい方がいるものです。

そして、思い出にしがみついていたら新しいものが生まれないということから、今までのご自身の取り上げられた輝かしい冊子や献立表その他、大切にしていたものを燃やしてしまった。Iさんとともに見習うべきことの多さに感じ入ってしまった。

 作品制作にしてもコスモ夢舞台つくりにしても、このようにありたいものであります。