2014.01.23
私の思う町おこし
佐藤賢太郎 

この度、田舎を言い当てる興味深い手紙を頂きました。その手紙には地元の人は「こんな町にいても楽しいことはない」と言う。ところが町外からの人は「阿賀町は素晴らしいところ」と言う。そのギャップに驚かされるとありました。 

観光業に携わる立場から、町民すべてが観光大使のような「おもてなし」の心をもつことが大切と言っておられました。しかし、この考えを一人一人に押し付けても、うまく浸透しないのではないかともおしゃっています。まちつくりは、町外の方と手を組むことでできるのではないか。そして大規模な改革を掲げるより、小さなグループの方が抵抗なく受け入れられ、地域を変えることになるのではないかと言います。また佐藤さんのようなことは、私にはとてもできないと卑屈になとらえ方をしている方が大勢いるのでないかと思う」とも言っておりました。さらに「地元生まれの方は、なんで言いたいことを言わないのでしょう。ここで生まれ育った方たちの特性のようにも思える。」と分析しています。

 私は田舎の特質をよくぞいいあてていると思いました。 

私は今では町おこしをしています、などとは決して言いません。私は里山アート展、田んぼ夢舞台祭り、コスモ夢舞台つくりを17年かけて辿ってきました。行政がするのでなく、単独で行う事業として、田舎では大きなことです。それは町おこしのためではなく、自分がこの田舎で楽しんでゆくためです。しかし助成金などの申請書も目的は、事業によって地域活性化をめざすと書きます。今は地元の方に理解されなくとも、そこにつながると思います。

 私はそんなに信頼されていないと感じます。なぜ信頼されないのか。私の推測ですが、私は田舎を大事にしないで、都会ばかり向いている人間だと思われているからでしょうか。田舎で里山アート展、田んぼ公園化などは誰にでも実践できることではないと思います。だから先ほどの卑屈さの意味が解ります。村おこしのためになどと言う言葉が出てこないのです。

 この7月、ギリシャに行って彫刻を制作します。それも資金は友人知人の応援を頂いて行くのです。更に、ギリシャのアマリアーダ市では、私を名誉市民にしてくださるそうです。加賀町では考えられないことばかりです。

17年も仲間が都会から豊実に通って、手弁当で夢を作りつづけました。みんな外の力があればこそここまで来られたのです。

「おもてなし」とは人の暖かさ、礼儀もありますが、地元の価値観だけを基準にするのではなく、外部の方の考えも聞いてみるべきではないでしょうか。 

ではどうすればよいのか。評価をあてにするのではなく、いろいろ活動しての上ですが、自分がこの過疎地で楽しく生きることを示すこと、私も田舎暮らしがしてみたいと思わせることが町を変えることに繋がると思います。町おこしなどと言わなくとも、ここに新しい風を送ることが大切だと思います。それには外の力が大切だと思います。外の力を結集するには、企画や人間力がなくてはならないと思います。

いわゆる観光地化や特別物産だけで田舎おこしとは思いません。「おもてなし」は、外の風を受け入れる気質を身に着けることだと思います。難しいでしょうが、できる人からすればいいと思います。それが田舎を変えることになるのだと思います。コスモ夢舞台はそのことを実践してきました。時間がかかりますが人が人を呼んでいます。