2008.03.23
コスモ夢舞台を語る2
佐藤賢太郎

ある集まりで仲間はコスモ夢舞台を語った、するとある方が「何故あなたたちはそうするのか、続けられるのですか」というような質問されたそうです。
   一言で答えるには難しい質問だったでしょう。私は自分なりに「何を目指して何のために自分はやっているのか」常にまとめておかなければと思っております。何度も繰り返して言って参りましたが、スタートはただ友と語り合う東屋をつくろう。それだけで後は何も考えていなかった。そんなスタートのコスモ夢舞台であった。それが12年たち建物はもちろんですが里山アート展を初め各種イベントを開催するまでになってきた。

 何のためにやっているのか、その答えは簡単にまとめると3つになりますが、集約すると感動ある人間交流の空間つくりに尽きると思います。それはまた一人一人が輝くことでもあり、そして本物を見つめてゆこうでもあります。そういう空間をつくることがコスモ夢舞台だと思います。では何によってそれを実感するのか、具体的に何を実践するのかということになります。

 何も動かない変化のない過疎の一途をたどる田舎に、そこに長年培った友とあるものを活用してリホーム建設をする。アートを田んぼにおく。コンサート、シンポジウム開催。食を考え自ら米を作る。ふるさとの原風景を蘇らせる。歴史に学ぶ。そうした舞台を生かし体験宿泊受け入れをする。
 これを動かすにはいろんな方の能力、特技が必要とされます。それが一人一人輝くことにつながってくるのです。

  世界が、日本全体が効率主義に傾いている中、失われつつあるふるさとの原風景大切さ、あるいは食についても安全な米を作り、季節の旬を野山からの頂き味わい考える。体験教育で汗を流しあう。などなどを通しこの時代に本物とは何だろうと考える。

  感動ある人間交流それはなんと言ってもこうしたコスモ夢舞台が立ち上がってきたのは、夢を共有する友がいるからできたのであります。それこそ感動ある人間交流であります。それは仲間の範囲にとどまらずここで出会う方と喜びを共にすることであります。

 人は生涯において人の役に立つ存在、社会に役立つ存在であることによって自分の生きがいもあるのだろうと思います。
  今日の社会はいろんな問題を抱えていますが、社会がおかしいと思うだけで自分は何が出来るのか。私は足元で仲間と夢や希望をもつことの実践から入ってゆけるのでないかと思います。

 今取り組んでいることは過疎化における地域おこしとは、日本人の風土を考える、失われつつある原風景を見つめ直す、食、教育、アートとは、感動ある人の交流、定年後の生き方、核家族高齢社会の行方とさまざま視野に入っています。それは豊実に限定されるものでなく日本全国に共通する課題であると思います。

 これに応えるものが少しでも出来るなら喜びであります。だから私はやり続けてみたいものです。
  こんな希望をもてるのも、親があり、共に行動する友がいて、先祖が守ってくれた土地があってのこそと実感しています。