2009.05.10
「田んぼ再発見」に想う
森紘一

 この連休は、残念ながら豊実に行くことができなかった。            
  先日、「田んぼ再発見」企画のあらましを電話で伺った。賢太郎さんによると、石夢工房前の雑木林に覆われた斜面は佐藤家の私有地で、昔は田んぼがあったという。にわかには信じがたい話だが、あの急斜面にどうやってたどり着き、どのように水を引いてきたのか、先人たちの米つくりへのきびしい執念を聞かされたおもいがした。

今回大野さんが、その復元・再利用をめざして、周辺の整備作業をはじめたそうだ。
我われは、狭い急斜面といえば日本の美しい棚田の原風景を思い浮かべるが、これこそ国土の7割が山林地帯という地理的条件下で、米つくりに励んできた先人たちの英知の結晶というべきかもしれない。

 評論家で大学教授の呉善花(お・そんふぁ)さんは、近著『日本の曖昧(あいまい)力』(PHP新書)の中で日本文化の基底にふれながら鋭い指摘をしている。“日本を理解するには、三つの指標がある。一つは欧米化された日本。もう一つは、中国や韓国と似た農耕アジア的な日本。もう一つ別の顔があって、それを私は、前農耕アジア的(自然採取・縄文時代以来の)日本と表現しています。外国人には解りにくい、日本人の精神構造を理解する上で最も重要なのは、この三番目”と述べている。

 考えてみると、コスモ夢舞台のモノつくりや生き方にも、この三番目は色濃く出ているのではないだろうか。自然の恵みに感謝する心や、あるものを生かしてヤリクリする‘もったいない’の精神は我われの日常生活である。
 昨今の地球環境問題への取り組みや世界的な経済不況への対処にも、我われのささやかなコスモ夢舞台の考え方は通用するのではないか、と連想ゲームはひとりでに広がってしまう。

 前述の『日本の曖昧力』には、融合する文化が世界を動かすという副題が付いている。そういえば3年前、賢太郎さんがギリシャのアマリアーダで制作設置した人魚像は「ゴルゴーナ=融合」だった。国境や民族を超えて地球規模のリセットが求められるこれからの時代を象徴する石彫、といってはいささかオーバーに過ぎるだろうか?
来年3月ごろ、ギリシャへの見学ツアーも計画されているという。日本からギリシャへ、豊実とアマリアーダを結ぶ虹の架け橋は、許される限り大勢で渡りたいものである。