2008.05.07
GWのコスモ夢舞台
森 紘一

5月3日(土・祝日) 
   雲の切れ間からようやく届いた陽ざしに、やわらかな緑の濃淡が輝きはじめたのは、東北道の宇都宮を過ぎたあたりからだったろうか。下りの渋滞は郡山まで続いたが、磐越道に入ると流れはスムースになった。                         

二年ぶりの高田さんが欠席となったのは残念だが、大塚さんは4日の夜に列車で駆けつけるという。それぞれに事情の許す限り、参加しようという気持ちがありがたい。7時過ぎに東川口駅で落ち合った森幹事長と、あれやこれやとお喋りを楽しみながら、13時前には豊実に到着した。雪解け水をたっぷり含んだ阿賀野川も、新緑を映すかのように白く淡い緑だった。

和彩館はお客様が食事中で、厨房のマキ子さん、助手役のIさんにも活気があった。ホールでは、賢太郎さん、御沓さんと先着組の大野さん、桐山さん、時崎さん、荻原さん、飯野さん親子が大きな丸テーブルを囲んでいた。我われも、さっそく筍ごはんにありついた。

 連休に入ってからは昼食の予約客がふえ、今夜は宿泊客もあるそうだ。マキ子さんの表情も明るい。このところ、和彩館の知名度もぐっと上がったようで嬉しい限りである。

   御沓さんの熱意と、英夫さん、大塚さんの協力で完成した昨年のシンポジウムの小冊子『日本の、個人の再生を考える』が配布された。「第5回里山アート展」のチラシも桐山さんのご尽力で出来上がっていた。「コスモ夢舞台2008」もいよいよ本番である。今年のイベント予定を語る賢太郎さんの声も、いちだんと弾んで聞こえた。

     午後の作業は、悠々亭正面の塀の修復とお花畑に予定しているJR陸橋下の枝木の運搬清掃の二班に分かれてはじまった。地元のFさんとTさんもチェーンソーを巧みに操って参加された。石夢工房前の広場では、運び込まれた煉瓦を荻原さんが黙々と並べ揃えていた。トラックから降ろされた枝木の山は、賢太郎さんのお母さんの弟さんが丁寧に束ねてくださった。それぞれの役割分担に無理はなく、無駄もなかった。いつでもチームプレイができるようになってきたということだろうか。

 夜は昼間の仲間に藤野さんも加わり、総勢14名の団欒となった。飲むほどに酔うほどにこれからのコスモ夢舞台に話が膨らんだ。お陰さまで、わたしも地元のFさん、Tさんに日頃の御礼とこれからのご協力をあらためてお願いすることができた。

   明日は5時に作業開始という賢太郎さんの宣言に、早めに桃源の湯に入って休もうということになった。我われが石夢工房に引き揚げたのは、21時半頃だった。星空がきれいで、夜風が何とも心地よかった。

5月4日(日)
   4時半起床。トラック部隊は、煉瓦を受け取りに5時に豊実を出発した。賢太郎さんと英夫さんの運転する2台のトラックに、飯野さん、桐山さんとわたしが分乗した。片道1時間半、水原までは遠かった。積み込んだ耐火煉瓦と煉瓦ブロックを積み下ろすのが、またひと苦労だった。その間、居残り組は桃源の湯の入り口と池側に目隠しの塀をつくっていた。

   朝食後、今度は青竹を貰いに、賢太郎さん、大野さんと津川まで出かけた。蓮田で青竹刈りをしたのは何年前だったろう。組み立てた脚立におそるおそるよじ登って、その竹を和彩館の天井に鈴木さんや海江田さんと張った日のことが懐かしくよみがえる。あれが、すべての序章だった。以来、わたしの竹取物語ならぬ豊実物語は続いている。

    昼食に戻ると、学生時代の友人で今は新潟市内に住むKさんが到着していると桐山さんから告げられた。それこそ、10年ぶりの再会だった。仲間と一緒にマキ子さんお手製の十割蕎麦に舌鼓を打った後、「滔々亭」から「蔵・銀河」、「ふくろう会館&アートギャラリー」を見学した。それぞれに新鮮な驚きがあったようで、しきりに感心していた。

午後、英夫さんと荻原さんが列車で、そのあと、時崎さんもツーシッターのマイカーで戻った。飯野さん親子もワンボックスカーで帰路に向かったようだ。                   

   昼食後、わたしと桐山さんは桃源の湯の目隠しの板張りを始めた。御沓さんとおなじみの助っ人Iさん、友人のKさんは陸橋下のお花畑の清掃に出かけた。3月にぎっくり腰をやっていたと知ったのは後のことだが、Kさんにいきなり枝拾いや竹割りの体験学習は酷だったようだ。本人は良い汗を流したと笑顔だったが、申し訳ないことをした。

 夕食前に、わたしも横浜から持ち寄ったアジサイの苗をKさんとお花畑に植え付けた。 いつの間に現れたのか、遠藤さんも陸橋の下でチェーンソーを操っていた。古代ハスの植え付けは、すでに先月終わっているという。和彩館の玄関前のカメには姫ハスの芽が育っていた。またひとつ、楽しみがふえた思いだ。

 真夏日の長い一日の終わりは、ビールがことのほか美味しかった。19時半過ぎには、大塚さんも列車を乗り継いで到着した。今夜も賑やかな宴となった。           

食事が一段落した後に、もうひとつサプライズが用意されていた。スクリーンには『佐藤忠市さんを偲ぶ』という画面が映し出された。この作品は、佐藤賢太郎監督、御沓一敏制作、御沓久美子ナレーションという傑作だった。49日に親族と親戚筋に上映されたというが、コスモ夢舞台のルーツが静かに語られているようで絶妙である。友人のKさんも素晴らしいですねと、繰り返していた。

5月5日(月・祝日)
   早朝の会合に出むいた賢太郎さんと桐山さん以外は、比較的ゆっくりとした朝だった。とはいえ、6時半過ぎには石夢工房前での竹割り作業が始まった。

朝食後、わたしとKさんは、一昨日修復した悠々亭の塀にタールを塗ることになった。桐山さんは桃源の湯の目隠し塀の塗装だった。御沓さんと大塚さんは古畳の掘り起こしと植え込みだった。相変わらずの作業分担で、作業効率が上がる。まさにマンパワーのフル稼働だった。

 その後、竹割り作業を続けていると、助っ人Iさんの友人のSさんがドアーなどの建材を運んで仲間と現れた。トラックで石夢工房に戻った賢太郎さんも見知らぬ人を連れていた。県の職員で作業に加わってくれる方だという。先輩にあたるKさんとの不思議な出会いだった。

コスモ夢舞台にも、“よそ者、ホンモノ、若者”がひきつけられるように集まってくるようになってきたのだろうか。「コスモ夢舞台2008」の成否も、そのへんに大きな鍵がありそうである。

昼食後、友人のKさん宅に向かうため、皆さんには失礼ながらひと足お先に帰ることになった。賢太郎さんと桐山さんが、駅前まで見送りに来てくれたのには恐縮した。GWのコスモ夢舞台には、いくつかのドラマがあった。数々の感動も生まれた。

最近の和彩館の繁盛や5月からの体験学習の過密ぶりを目の当たりにして、これからは我われの真価が問われる番だと意識したのは、どうやらわたしだけではなかったようだ。(終)