2019.2.10
「舞」
佐藤賢太郎

 午前中仕事をすることにした。そこで、仕事場に歩いて行った。道すがら彼女たちとカセンは気が緩んでいたようで、不愉快であった。年が若いと言っても、仕事をするときと休憩の区別はしっかりしてほしい。支払いは私がするので、いい加減では困るのである。
 
私が彫刻をする態度はいい加減ではない。それを感じ取れないのだろうか。社会に出て働かないと、厳しさが分からないのだろうかと思ってしまった。社会に出て働く大学4年生の22歳の女性と比較して、それはすぐ分かる。

 一喝した(大きい声で怒った)ら、カセンはそれを感じたのだろう。彼女たちも感じたようだ。こうしたことも、今後WH受ける反省点とします。この文章は彼女たちも読んでいるし、これからWHを希望される方も読んでほしい。
 しかし救いは、彼女たちの素直さである。はっきりものをいうことの大切さは、わたしたちの受け入れには必要です。
 さて私も気持ちを切り替え、午後の部に入る。昨日から神に奉納する「舞」を見ることにしていた。もし嫌な雰囲気になったら、帰ってもらうようになるでしょう。それは紙一重である。それで自由がないと言うなら、カセンでもお別れになります。

 昨日のスキーとは違い、今日の午後は神に捧げる「舞」を見ることにした。唐突ながら、めったに見られない舞を見る機会をいただいた。無理にお願いしたのは、WHの方がいるからです。私たちは朝食後、雪をかき分けながら神社にお参りに行っていたので、すでに身を清めていました。清めると言うのは、珍しさもありますが、自分のできる以上のことを神にお願いすると言う事です。気づいたら即実行、これが私の信条、できることをする私のサービスです。

 午後一時半に宮司さんがお出でになった。そして「舞」とはどういうことか説明された。
次に舞うのかと思ったら、宮司さんは「教えるから、やってみなさい」と言い、
一番目に惇子ちゃんが舞うことになった。昨日雪の上を全然歩けなかった
彼女だが、飲み込みが早く、見事名誉挽回となりました。

 

 
 百聞は一見に如かず