「戦争という仕事」を読んで4

最後に

  
農業と働くということが資本主義社会の中でどのように変化していったのか。働くことの意義、農業に携わる意義を考えせせられた本であった。それは田舎に暮らす魅力つくりにもなり現代人が生きる事の意義を考える事とも思えた。


 ふくろう会は夢舞台建設を期せずして10年建設作業をしてきた。しかしそれは一般の建設作業とは違っている。まさに内山氏の言っているような本来の労働であると思っている。
 つくりながら考え、考えながらつくる。それが現代ではつくる人と考える人に分かれてしまった。このような考えが人間の労働をやせ細らせていった。と氏は言っているがふくろう会のコスモ夢舞台つくりは作りながら考えであった。又分業化の今日労働の結びつきが見えないと、あるが私たちはそれぞれ担当箇所が違って分業していたが、自分が作ったのでなくともつながってお互いの価値をたたえていたと思う。

 どんな労働をする事が人間の豊かさや幸せになるのか、と言う問いかけを忘れた。とも言っているがそんなことを言葉として出さなかったが私たちの心にはあったと思う。
 そして氏は農業には命のやり取りがあると言っていた。自然の力によって作物ができるそれを実現するのは人間の労働の努力だと。これも米を作るまで体験すればこそ少し解る事です。か細い苗を植えつけたときこれが米になるのかと不思議に思う。水が切れそうになって懸命に川から水を上げる。沢から水を注ぎいれる努力。太陽の光によって生育する。まさに命のやり取りを味わうことなのだ。

 ただ農業をこのように人間にとって大切と理屈からわかるが現代社会で生活できるかとなると難しい。だから都会に出てしまう人間がほとんどである。
 但しリーダシップのある人間がいれば過疎にも生き残る例も示していただいた。しかし全部それぞれぞれであって、自分のところに当てはまるものは一つもない。それぞれ独自のやり方でしなければならない事だと思う。理念は共通する。その意味では氏の「戦争という仕事は」大きな大きな観点からものを考えるに必要な著書であった。