2007.03.01
おたまじゃくし

  私はおたまじゃくしに一つの思いれがある。それは蓮田に住んでいるとき、アトリエの鉄鍋におたまじゃくしがいつの間にか住んでいた。どうしてここにいるのだろうと驚いた。私はそれを彫刻にした。以来動物を彫刻する事になった。また彫刻に石の穴に蛙が身を隠し、とても愛らしい思い出があった。さて今私は田舎の豊実に移住しておたまじゃくしとどんな体面をしているか。

  雪の少なかった2月里山アートの一枚の田んぼに水溜りがあった。よく見るとその水溜りの一つにおたまじゃくしの卵があった。懐かしい昔のおたまじゃくしの卵。蛙にさえ珍しくなりそうな、自然がなくなっているふるさと。無事育ってほしいと願っていた。ところが暗渠の水を抜くと田んぼに水がなくなり、慌てて田んぼの暗渠を止めた。しかしそして瀕死状態の卵を水の貯めたところに移した。そのとき他のお玉の卵が産み付けられていた。ほんの少し水を貯めると生命は生まれるんだと実感した。田舎の田んぼでも水溜りがなくなってどじょうも、おたまじゃくしも消えてしまっている。ここにふるさとの原風景はない。寂しい限りです。私はここに原風景を取り戻したい想いで水の溜まり場をつくる。彫刻する時間を割いてもそんな田圃に駆け寄ってしまった今日。私も効率第一主義で走ってきたこれまでの人生。効率、合理化一辺倒で走っている現代社会。動物たちの住処をどんどん奪っている現代の人間社会。田圃を作るのが少々不便でも遺そうと思う。
                                                             (佐藤賢太郎)