2007.03.27
即興曲

 2006年3月ドイツ在住の音楽家天田透山が、和彩館でフルートの演奏をされました。そな方が所用で村上においでになりその帰り、
和彩館で演奏会はどうでしょうかと声をかけていただきました。
平日なので和彩館でできず福祉協議会で開催する事になりました。

  さてその内容ですがソロ、そして彫刻家と共演、そして参加者と合奏となりました。どうして私と共演なのか。私もよくわからないが、縄文考古学者の森幸彦さんとの縁であるので大切にしようと受けました。

 仕事場、石夢工房で朝陽の当たる青空に、小鳥がさえずり、谷川の音が聞こえる、とても気持ちがいい、これってコラボレーションなのだと思った。冬の吹雪の音もそうだ。そんなことを思いながら演奏前夜、天田透さんを迎え話し込んだ。20歳まで日本にいて20年ドイツ在住日本と行ったりきたりしているという。初めはドイツに音楽を習いに行ったが、現在はドイツで音楽を教えている。なにを教えているかというと即興だそうです。ベートベンも作曲家でなく即興音楽家であったそうです。それが今日では分業になってしまった。クラシックを演奏するだけのように。ジャズの話しもした。ジャズは黒人と白人のぶつかり合いの中で生まれた。白人とのコラボレーションなどという生易しいものでないと天田さんは言った。

 翌朝リハーサルとして石夢工房で大きな未完成の石の作品向ってのみ振るった。すると平安時代の復元した笛を奏で始めた。透き通った音色は沢の音、石をたたく音にとてもマッチしていた。これはいけると天田さんもそう思った。そして悠悠亭で大きなフルートを奏でた。沢の音は大きくて別世界に引き込まれるような気分に何時もなる。そこでかすかに低音のフルートな聞こえてくる。この沢の音をじっと聞く時間ができたらいいと思っていた。あわただしさの中でこんな贅沢な時間を始めてもてた思いがした。

 天田さんは今まで生け花、居合い、陶芸家、写真家との共演をされてきたそうです。それもバイオリンと太古のコラボレーションのようなわざとらしさというものでなく、仕事そのものと向き合うそのエネルギーと対面するそういうコラボレーションを願っていた。

 私が石彫家だから石を叩くというのでなく制作しているときに出る音、機械でもいいホンモノの音、気というものと即興する楽しさである。9月その演奏会を石夢工房でかがり火を焚き、月夜の出る静かな夜、古代笛の奏でるコンサートを実行しようと思う。

 さらにEUジャパンの古木修治さんにも提案したい、こんな日本人演奏家がいてその方と私の石彫する音で共演する日本の文化というものをいつかヨーロッパの人々に聞いていただける機会があったらと酒を飲みながら語った。まず9月聞いていただけたらとも思った。

 音楽とは古代縄文時代から神にささげる音、神を呼ぶ音、神と表現しなければ大自然に感謝をささげる音でもいい、そして自らの心を幽玄の世界に招く音であり、現代のように単なる心に癒しというものでなかったと思う。
 即興曲と付けたが音楽のことばかりでなく、人生もそうである。ギリシャでの出の体験も即興曲であった。楽譜がないからできないというのでない。即興曲でなければならない。そうでなければうまく行かなかったと思う。何時もたれとでもそうありたいものだ。(佐藤賢太郎)