2007.04.27
自然の摂理に学ぶ1

自然の摂理に学ぶとは具体的にどんなことなのか。解っていそうで瞬間に答えは出てこない。地球は何億年も1分1秒違わない動きで太陽の周りを回っている、まさに大自然の摂理をあらわしている。その大自然の中に私たち生き物は生かされている。だからこの摂理にそって生きることがもっとも自然な生き方であることは言うまでもない。その自然の摂理を感じる自分でありたい。そして里山アート展開催はそれを意識するものでありたいと思う。 

しかし現代の人間はこの自然の摂理からどんどん離れた生き方をしつつあるのではないか、結果的にそれは不幸な道に歩むようなことになるのだろう。その極端な例ですがクローン人間を人間が作るなどとしていることです。さて私は50歳末に自然に囲まれた郷里に帰ってきた。毎日変化する自然の呼吸を見ている。この中で自然の摂理から学ぶ人生でありたいと思う。植物や動物は自然の摂理のままに生きている。その様子から学ぶことが自然の摂理を知ることだろうと思う。戦後わが家の土地もみながそうしたように雑木を切り、杉を植えた林がある。そのことによりさまざま弊害が起こっている。川の水か悪くなった。洪水の要因にもなっているなどなど。自分の林をできるだけ間伐し栃やナラもみじなどに植え替えようとしている。栃の苗をいただけるということで栃の木の林に行くと一面は腐葉土でふかふかしている。そこに栃の実が落ちて芽を出している。ここには見事に循環がなされている。人間もこのように次の世代の腐葉土になる生き方をしてゆく事が自然の摂理にかなう生き方なのだろう。

  一方川沿いにケヤキやナラなどの落葉樹が生きている。何年も人が入らない林では、ふじのつるがあたかも生きている蛇がぐりぐり巻きついてその木を絞め殺しているような光景に出会う。まきつくふじつるは太いのだと大人の胴体ほど太いのに出会う。気持ち悪い。巻き着かれた木はどんなに苦しんできたのだろうか、かわいそうになる。私は何十本も藤のつるをノコギリや鉈で断ち切った。でもこれも自然の仕組み摂理である。人間社会でも人の生き血を吸いながら生きる人間もいる。植物の世界もそうであると思わされた。ふじつるは細いうちに断ち切ってゆかねばならない。教育もほっておいたら同じでないか。
                                                             (
佐藤賢太郎)