共有する話

2007.11.30 佐藤賢太郎

EUジャパンの古木修治さんと福島県三島町で開催されたコンサート前に二人で話す機会があった。今年のシンポジウムのとき様に私は現状のマイナス面を前において切り出すと、そうは思わない、今ほどいい時代は無いと切り返すのが古木修治さんだ。しかし彼にしても決して、今がよい時代であるとは肯定しているはずは無い。もちろん私は現実を否定はしていない。だからこそコスモ夢舞台のような空間をつくろうとしている。それに私のようなものが彫刻家になりたいと言って其れをしているのだからありがたい時代でもある。

奥会津書房の遠藤さんが地域活性化というテーマで話を進めているとき、人が集まればよいと思わない、私は焼畑のような事をして共有する人と集ってゆきたい。そのように話したことを記憶にあった。そのことで古木修治さんはコスモ夢舞台に対する意見として警鐘したサインでないかと言いました。私はそうは思わない。コスモ夢舞台は初めから地域に対してとても好意的とは思われていなかった。今もそんなにいいとは思わないが、接点と言うところもなければならない。そのさじ加減も大切な事だと思う。安易に人が集まればいいなどとしたところに目的を置いたならば、仲間はこんなにも熱心に何年もコスモ夢舞台つくりに通うだろうか。

 私は学者のようの理論で組み立て進んではいない。行動を通して組み立てているつもりである。この過疎にコスモ夢舞台実現の夢を描くことができたら素晴らしいだろう。そう願って高みを目指している。経済効果は必要だがそのためにやってはいない。

コスモ夢舞台が動くためにはいろんな人の力が必要である。その幅が広がってきたようだ。受け入れる人間力も無いと例えば里山アート展の準備も進まない現状である。静かな過疎の何もないと言われているところに夢はつくれないのだ。大切なのはこちらのブレナイ芯を持っていることだと思う。

さて古木修治さんいわく人生必ず死は誰のもやってくる。其れもさんなさ気の話でない、20年かな。すると自分は何を大切に生きなければならないか、すると今年何をするか、そして今日何をすべきなのか決まってくる、と言っていました。そうです延々と命はありません、20年どころか、いつ命がなくなるかも解りません。

だからこそどう生きるか、人生において何を優先すべきなのか、何に価値を置くのかを考えると単純であるのでしょう。だから私は彫刻家の道を選んだと言ってもよいでしょう。そして仲間とともにコスモ夢舞台を推進したいと思います。其れこそ焼畑農業ではありませんがこの畑つくりはそんなにも誰もが参加できないかもしれません。でも此処まで来ました。そして見学に来る方も少しずつ増えてくるでしょう。