2008.01.02
田舎の初参会にて

  村の人は元旦に村の神社に初詣とし、そろって神社に集る。その意味は「村人の平安無事を神様にお願いする。」ことです。2礼2拍1礼を区長さんに合わせて行います。そして神殿にささげたお酒を皆で分けていただき、「おからく」といってつまみもいただく。それは神様と一緒に酒を飲み交わすということです。

神社でこの儀式が終わって、場所を変えて村の1年の行事を話しあわされのちに懇親会を開かれる。さらに役年に当たる家に集ってまた祝宴がなされます。厄年の家が3軒あると3軒回り飲み食いします。4軒なら4回です。

 一昨年から郷里に帰ったことで私は村のこのような行事に参加するようになりました。村の方は今日まで私のしてきたイベントやコスモ夢舞台つくりを見て、好意てきでなく、いろんな思いを私にしているようであった。もちろんなかには「賢太郎さんはたいしたものだ」と言ってくださる方もいらっしゃるがほんの一人二人。

その思いを昨年より酒が入り本音で言われるようになった。それもそうした飲み会に出ればこそであった。雰囲気からして市民権と言う言葉があるが私には市民権が未だ得ていないようにも思えている。しょうがないと思っていた。「もっと村の人を大切にしなさい」ということらしい。それは都会の人にだけ頼るのでなくて田舎の人に何をするにも相談して進めることをしていないのが良くない、ということらしい。そんなつもりはない。そうできたら私も最善と思う。わたしは村の人を頼りにしていなく都会の人だけを相手に仕様などとは決してそんな思いはしていない。立ち上がりの悠悠亭をつくる、ふくろう会館&アートギャラリーを作るにしても蓮田で住んでいて村の方と相談し、お願いしながらなどとてもできなかった。

 里山アート展をきっかけに村の人に手伝いをお願いするようになった。しかしそのときすでに地域の方には私は都会の人間だけを相手にしていると思われていたようだ。

 そんななかで今年は嬉しい言葉を言っていただいた。「賢太郎さんが村おこしをして豊実をよくしたい、そう思うのはいいことだ、ただ都会の仲間だけでなく村の人に相談することだよ」と云ってくいただき「私に言ってくれたら今年は手伝いをするよ。」と言っていただいた。これは私にはとってもありがたいことであり、ようやくにしてこうして一歩一歩村の方と時間をかけながら近づいてきたようだ。コスモ夢舞台実現は人間修行でもあります。

 私が村の人々に信頼していただくことは難しいものだと思っています。それは40年たって都会から田舎に帰り両親と住むにしても摩擦が起きるものです。ましては突然田舎に帰ってきてどんどん自己流にやっているスタイルを村の方が見て1年や2年で信頼していただくなどは難しいものです。村のしきたりを知らないで勝手にやっている私ですから。しかし村のしきたりに初めから入っていたらコスモ夢舞台などとってもできなかったと思う。相談してと言ってもコスモ夢舞台イベントなどの計画を全て話してみたら、とてもついて行けないと言われてしまいそうです。仲間にだって全て参加してなどと言ったら難しいだろうとも思えてしまいます。会社に勤めているわけでないのだし、参加できるところでそれでいいと思っています。
 ともあれ初参加後の懇親会ではとても嬉しい前進であった。それはふくろう会のみなさんのご尽力にも応えることになろうと思います。
(佐藤賢太郎)