2009.04.25
社会の子供と教育者訪問
佐藤賢太郎

私の地域に今年小学一年生になる男の子がいる。今年の小学校入学は総勢3人。それも隣村と統合しての数です。若い人がいないということです。私が小学校に入学したのは、一つの村でも40人ほどであった。

そんな事情もあり、その子は近所に遊び友達がなく、大人が遊び友達になってしまう。大人の付き合いが身についている。和彩館にも良く遊びに来る。今日はお客さんがいるからだめ、と断ることもある。しかし本日は予約のお客様があり、ピザがまのある滔滔亭から和彩館までピザを運んで、と家内がその子に頼んだ。あいにくの雨であった。その子は自分のからだを海老のように曲げピザに雨が当たらないようにして運んでくれた。「僕、頑張ったでしょう」と言う。よく働いたね、ピザ一緒に食べようというと、「僕腹いっぱい」と遠慮して「食べたくない」と何時も言う。「食べたいくせにやせ我慢するな」と私は言う。なんとか言いながらも食べることになる。

 食事を終えて「おじちゃんこれから仕事に行くの」と聞く。「行くよ」と言うと、「僕も行く」と言う。そして私に「お父ちゃん一緒に傘をさして行こう」と言う。その前に私に頬ずりして甘えていた。勿論私はこの子の父親ではない。しかし、その子はそう言いたい気持なのだろう。仕事場に来ると当然私は仕事をする。その子は好奇心が強く何でもしたがる。停止しているフォークリフトに乗る。何かさせることにしているが、今日は電源のコンセントに差し込んでとか、エアガンで石の粉を飛ばしてとか、させた。いたずらもする。「そんなことするなら帰れ」という。なでる程度だが拳骨もすることもあった。子供はよく見ているものだ。真剣なのか、どの辺までやっていいのか、どこまで甘えていいのか、敏感に感じている。

 私は言葉使いが悪かったら怒る。今日は薪で風呂をたいた。釜に薪を入れることを命じた。はじめ一緒にしたが私は仕事についてその子は一人になった。おじちゃんも、と誘いに来る。一人でやりなさいと言う。またやってきて、見に来てという。

 以前約束していたこともあり、「今日は2人で風呂に入るか」と言うと「うん」と言い4時30分頃一緒にふろに入った。「ママに内緒にして」と言う。「分かっているよ」と言うと安心している。

風呂では、はしゃぎ大変である。私には子供がいない。しかし、子供は自分の子であっても、社会の子であるとの言葉がある。将来この子はどういう道を歩んでゆくのであろうか。小さい頃の良い思い出は残るものだろうと思う。それが人生を決定するものになることもある。

   ところで今日は、仕事の途中11時頃、「お客さんの応対をお願いします」と家内から呼び出しがあった。帰ると某市の教育長さんが雨の中をわざわざ奥様とご一緒に和彩館においでになっていた。アートを中心に活躍していると聞き及びご来訪くださったようです。私は「アートに、教育に、地域活性化に、農に、景観つくりに、歴史にと欲張って手を伸ばしています。私がいつ彫刻をしているのかと心配される方もいます」と、これまでの話しをしました。
   「今日は思いきって来てよかった、お会いできないかもしれないと思っていたところ本人から直接説明していただき嬉しかった」と言って頂きました。奥様は如何して文化が豊実なのか不思議に思ったそうです。ずーと昔、奥さんは豊実にお出でになったことがあるそうで、その頃は釣り橋があって何もないところが印象的だったそうです。だから如何して豊実に主人が行くのだろうと思ったそうです。ともかく関心を深めていただき、笑顔でお帰りになりました。