2008.07.26
和彩館の存在1

和彩館は現代の駆け込み寺か?と思えるほど人生にいろいろと迷い、立ち止まる人々がやってくる。これを受け容れるのは利益優先の営業で存在しているのでないと思う。人と人の触れ合いを第一にしているところ。訪れた人が元気になってかえっていただけたら嬉しいと和彩館運営者は言う。

 先日若い女性が考えてもしょうがない。これからの人生をどう進もうかと思い、自然の中で1泊したいとひとりで再度訪問された。

 私は風呂掃除、風呂焚きをしていただき、悠悠亭を案内した。そして林道をマスコットカーでゆっくり案内した。走るというより歩いているような速度の車にのりながらきてよかったと、笑顔を見せてくれた。夜、家内と3人で食事をしながら身の上話をした。好きな男性いるが一緒になれない現状など話された。年もとってくるし独身でいるかどの人生を選ぼうかというときのようである。

 「人生の選択に迫られている時だね」といいながら翌日駅のホームまでリキと家内と見送りに行った。その日「ありがとうございましたまた来ます」とお礼の電話をいただいた。

その後日一度訪れた方が今日伺っていいですかと家内に電話があった。夫を亡くし、子供を亡くし、人生で相当つらい思いをされている方であった。お会いし少し話していると「目は心の窓」と言うが私にはその方の目が悲しい希望が見えない窓のようにうかがえた。当然だろう、私であったらどうだろう。家内が言うには長い時間はなしこんで、帰るときにはとってもいい笑顔で帰っていったと言う。

ところが明日また来ていいですかと彼女が行ったそうです。実は明日夜ピザの予約のお客さんが入っているのに従業員が休みとなっていたので彼女が手伝いとなった。夜は営業しないのですが、

村の方であり生前父が世話になっていたので受けることにしたようです。私は個展で須賀川まで車で通い、手伝いはできない状態でした。

そんなタイミングに彼女がやってきたのです。ふぃしぎな巡り合わせです。今までに見たこともない笑いの多いお客様との触れ合い、そして家内と長い時間を語り合いながら風呂に入ったようでした。  

  相手も元気になるがそんな方々と家内が話しながら自分も元気をいただくと言っていました。私や母とだけならいつもけんかばかりになってしまう我が家です。「子供は親のかすがい」と言うけれど、我が家はどうも、「人は我が家のかすがい」のようです。(佐藤賢太郎)