2007.12.24
夢の変容 

34歳のころの夢は好きな彫刻を職業にして彫刻を毎日できたら思った。しかしそれは字つげ不可能のような夢だった。そして時に音楽を聴き、読書ができる生活ができたらどんなに幸せだろうと思った。

それが実現した。それではそんなに幸せかと振り返るとそれは生活する事に必死であった。毎年毎年が不安であり夢が実現できたと言うような実感は無かったように思う。自由な時間はもてるようにもなった。彫刻で生きられるカナと思うようにもなった。その間多くの友人や人々に支えられてきたことを実感する。友のありがたさ、社会のありがたさ、もしかしてそんなことを知るために彫刻家になったのかとも思った。彫刻家にならなかったら他人にそんな感謝を実感として意識しなかったかもしれない。

さてその次の夢はコスモ夢舞台の実現となった。人間価値観を共有する人とともに語り、過ごせる事だそう思うようになった。何によってそれをするか。それがコスモ夢舞台であった。
   この夢の実現は今も現在進行中である。コスモ夢舞台は自分たちの楽しむ範囲にとどまらず、大きくなって夢は現在進行中である。これが私の夢でもあり、最大のモニュメントつくりと思うようになった。。

夢を追いながら、気がつくと来年私は60歳になる。私は関東から郷里の田舎に帰ってきた。このことはとても大きな変化であった。
  コスモ夢舞台の夢はまさに此処で実現するのだから自然な夢追いだろう。しかし今までの様にはならない面もある。蓮田にいるときは自分のことだけ考えて生活していた。ところが郷里に帰るとそうはできなくなった。両親との同居、村との付き合い、雪が囲い、家の管理、それに父、母の介護、マスコミやお客さまの対応と今までにないことが取り囲んでいる。それで彫刻をする時間もそれまでの3分の1になったようだ。今父が動けなくなりその介護で家族が右往左往している。

  そんな生活の変化の中で人の幸せとは何かを考えさせられる。何か社会的に大きな事ことをすることなのか。そうではない足元にある身近なことにそれを発見する事でないかとふと思うことがある。
  母や家内と仲良い生活ができた一日。健康であった一年。ことし一年無事過ごせた事。おおくの友と仲良く過ごせた事。身近な人と仲良くなる事。そして本物と向き合う人と出会えた事だろうか。
  しかし欲を言えば真の意味で人の喜ぶことに役立つ事ができたときが、人として心からの幸せになれたときなのだろうと思う。それがコスモ夢舞台で仲間とできたら最高の夢なのだろうと繋がる。(佐藤賢太郎)