2010.09.08
夢を追う人生
佐藤賢太郎

人の命は先がわからないのは誰でも同じである。現代という時代は、3年先など全くわからない。縄文時代も生死に関わる自然の変動が毎年あった、だから神にも祈願をしたのだろう。しかし縄文人にとっては、3年先くらいのことは現代のように予測が付かないことはなかっただろう。

 14年の歳月、仲間と一緒になって創ってきたコスモ夢舞台を思うにつけ、こうなるなどと計画をもってここまできたわけではない。一年一年夢を重ねてきた。たとえ話にもありますが、孫悟空が自由に自分の意思で飛び回っているように思っていたが、実はお釈迦様の手のひらの中で飛び回っているだけだった。私も自分の意思というより、人生の出会いの中で、何かによって動かされているように思える。

金銭儲けのためでもなく、名誉のためでもなく、感動するためにともかく私たちは夢を追いかけてきた。今も私は、衰退する一方の過疎地の桃源郷つくりに加速しつつ動き続けている。それは何かを見本にしているものではない。あくまでも自然のままに動いている。しかも私からすれば浮世離れしている活動ではない。

 地元地域の人もそうだが、外の人も希望のもてる空間にしたい。本当はそうだねと目で見えるような舞台に。即、経済活性化ではない遠回りの魅力つくりの舞台である。これを理解していただくには時間が掛かるだろう。何しろ今は即、経済効果が求められる時代の中にたっている。

さて私の夢を追うエネルギーはいつまで続くのだろうか? 夢を追うエネルギーがなくなったら生きる屍かもしれない。より善く生きる、夢があることは人生を大事にすることだと思う。夢があるから、建設的な人生となるように努力をするのです。